明日への遺言 (2007)
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戦争の終わりの終わり
2008/04/16
by
根無し葛
いつの間にかひき込まれてしまいます。
口元に運ぶことを忘れた紙コップの中のホットコーヒーが、手元ですっかり生ぬるくなってしまっていました。
米軍による爆撃は、市街地を目標とした意図的な無差別爆撃であったのか。
そうであるとすれば、撃墜されたB29搭乗員は、戦時捕虜なのか、無差別爆撃という違法行為を犯した戦争犯罪人なのか。
裁判の前半では、事件の背景に横たわる戦争そのものの無慈悲性をじわじわと浮き彫りにしていきます。
裁判後半、主人公による被告人尋問になると、論点は主に「略式手続による処刑の適法性」ということへと移ります。それは「適法」なものとはいえず、単なる「殺人」だったのかどうなのか。手続をめぐる事実関係は錯綜しているし、日米間に横たわる法規範意識の「ずれ」も手伝って、かなりこれはややこしい話です。ややこしい話のはずなのに、不思議とわかりやすいのです。大まかなところについて、すとんと腑に落ちたような気分になる。長くはない上映時間の中で何を伝え、何を切り捨てるか。取捨選択に細やかな配慮を感じます。作り手サイドに、裁判全体に対する深い理解、主人公へのリスペクトがあったからこそなんだろうなあと思いました。
難しいことをだらだらと語り、簡単なことを難しげに言い回し、結局どちらについてもなにも伝わらない。世間にはそんな「講義」とか「研修」がとても多いですよね。こういう映画をぜひ見習ってほしいものです。
生まれて間もない初孫を主人公がぎこちなく抱き上げるシーンがあります。その瞬間、法廷全体がなごやかな雰囲気に包まれます。居並ぶ人みな思わず頬をゆるませます。対立する関係にあり、立場も国籍も違う人間同士。なのに、裁判を通じて、いつのまにか芽生えていたお互いの信頼と尊敬。密閉された空間にしばし木漏れ日が射します。でも次の瞬間、その同じ場所が、ひとりの人間の「生き死に」を決めるための裁きの場へと反転する。それぞれ自分に与えられた「役割」に戻ります。希望と非情が交錯する、せつなくて残酷なコントラストではありました。
『スペシャリスト〜自覚なき殺戮者〜』という映画があります。
1961年にイスラエルのエルサレムで行われた戦犯裁判を記録したドキュメンタリー映画です。被告のアドルフ・アイヒマンは、ユダヤ人をいかに「効率的に」強制収容所へ移送するかということを担当する責任者だった男で、翌年、死刑に処されています。
「自分には権限はない、命令に従うだけ、責任は命令した者にある。」
こう弁明を繰り返すアイヒマンは、結果としてのホロコースト、その残虐性からは想像もできないような「小役人」です。タイトルどおり、なんの「自覚」もない。「自覚」することを断固として拒否しているようにも見えます。
ナチ戦犯と比較することに意味はないかもしれない。それでもあえて思います。岡田中将という人はアイヒマンとは対照的に、息苦しいほどに「自覚的」です。
行為がもたらした「結果」についても、その倫理的な面での「理非曲直」についても、自身が負うべき「責任」についても、すべてについてきわめて「自覚的」です。
この「自覚」を支えるもの。ひとつには、背後から静かに傍聴を続ける家族の「まなざし」があったような気がします。内側から厳しく見つめる、信仰に基づく「教義」もあったのでしょう。さらには、過去から何百年も脈々と受け継がれ、ひとつの人格に結晶する「精神性」のごときものによる後押しも。
たとえそれがどんなものであれ、内側からも外側からも支えられることのない者は、アイヒマンのように、あるいは薬害被害等で被告となった厚労省官僚がそうであったように、自覚を拒否し続けることで自分自身を守るしかありません。明日へ受け渡せる「遺言」を語り残す資格が彼らに与えられるということは、絶対にありえないのでしょうね。
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桜からの伝言
2008/04/16 by
クラリス2号
根無し葛 さま
素晴しいレビューをありがとうございます。
感動いたしました。
根無し葛 さんのプロフに「桜の森の満開の下」に触れておられ映画化されていることを知りました。私も昔、坂口安吾の原作を読んでから「そそくさ」の口ですが、大好きな作品です。
でも、私はやはり桜に惹かれます。あの美しさ、凛とした姿、そして潔さ。
桜が散り始めたこの時期に、根無し葛さんのこのレビューを拝見して、主人公に桜をダブらせてしまいました。
桜は無言で、あるべき姿を毎年、根気よく私たちに示してくれています。ただ愛でるだけでなくそれを感じなければと、つくづくそう思います。
この度は、私が勝手に「お気に入り」に入れさせていただいたにもかかわらず、お返しに入れてくださったこと、お礼申し上げます。
その広いお心に感謝いたします。 -
Re: 戦争の終わりの終わり
2008/04/17 by
根無し葛
クラリス2号さん。
暖かいコメントをいただき、本当にありがとうございます。
桜の凛とした姿や潔さ。たしかに惹かれるものがありますよね。
寡黙なイメージの花だけど、ことによると花見客を見下ろしてぼそぼそつぶやいたりしているかも。「煙草のケムリ、なんとかしろよなっ」とかなんとか。
実はここ数年、百日紅(サルスベリ)の花が気になっています。「百日の間、花を咲かせる」ことが名前の由来、と聞きます。由来どおり、なかなかしぶとい花なんですよねー。雨が降り続いた翌日でもけろりとしてるし、大風の吹いた朝だって「どこ吹く風」といった感じで。それでも秋の気配が立ち始めると、次第に色つやは衰え、疲労の影をにじませてきます。「そろそろもういいじゃないか」と声をかけたくなるけど、ここから頑張る。ほんとに頑張ります。「まだまだこれから」と声を絞り出しているみたい。実際に、まだまだ「物語」は続きます。そうは安々と終わりません。桜とはすこし違った意味での潔さを感じてしまいます。
もしも『百日紅の森の満開の下』なんていう映画があったとしたら、「いつまでも散らない花のしぶとさに人々は倦み疲れて、やがていつしかみな堕落の底に沈んでしまいました」みたいなお話になるのかな。まあ、作らないでおいた方がよさそうです。
きょう、主人公を演じた藤田まことさんが病気治療のため舞台を降板されたというニュースに接しました。驚きました。早く元気になって戻ってきて欲しいですよね。しぶとい中にもしぶとい、いちばんしぶとい百日紅にあやかって欲しい。 -
百日紅の話
2008/04/17 by
クラリス2号
根無し葛 さま
ご返信をありがとうございます。
素敵なお話の後で気が引けるのですが、私も百日紅には思い出があります。
実家の庭に何故か1本のひょろっとした百日紅があります。
私が幼い頃、何故「さるすべり」って名前なのか聞いた記憶があります。すると大人が(誰だか忘れましたが)「幹がツルツルで猿も登れないからさ」という答え。納得した私は、それからずっと百日紅を見ると、木の下であの小さな濃いピンクの花を間近かで見れず寂しそうに見上げる悲恋にも似た哀しい猿のお話を想像していました。
他愛ない話ですが、誰もがいくつか持っている自分だけの御伽噺です。
根無し葛さんのお話、同感です。
あきらめない潔さ。
百日紅のようでなくては生きてはいけないと思います。だけど、隣の桜の潔さにも憧れる。
どちらかの木になることにも腹を括れず、真ん中でいつも揺れます。
だけど、芸術に触れ人の力を信じ、自然に畏敬の念を持ち、そして、悲恋の猿の物語とお化粧のノリに心痛める。こんな人生をまんざらじゃないな・・と思っています。
おっと、根無し葛さんのお話で「らしく」ないことを・・失礼しました。
これからも、素敵なレビューを楽しみにしています。 よろしくお願いします。
藤田まことさんのお話は知りませんでしたが、早い回復を祈ります。大丈夫ですよ。主水さんですから。 -
Re: 戦争の終わりの終わり
2008/04/19 by
根無し葛
クラリス2号さん。
「百日紅」は、実際に「猿滑」と書く場合もあるみたいです。クラリス2号さんから疑問をぶつけられた大人は、きちんと”いわれ”を教えてくれたんですね。「悲恋にも似た哀しい猿」の想いが込められている。なるほど。なんだかほんとにそんな気もしてきます。山の奥、月夜の晩に、百日紅の下でむなしく袖を濡らしている猿。南画の題材にならないかな。ならないだろうなあ。そういえば、猿の社会では、叶わない恋の望みを「高嶺の百日紅」と言いならわすそうです。
今回はこれで失礼します。
また別の映画でお話できたらいいなと思います。
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