夕凪の街 桜の国 (2007)
»レビュー
セリフがね!
2007/08/16
by
黄水仙
佐々部監督の映画についての投稿諸氏のご意見には傾聴するところも多々あると思いますし、また、メディアとしての「映画」の影響力を期待しつつ皆に見て欲しいという点での評価も、尊重すべしでしょう。
しかし、私が今回びっくりしたのはそのセリフ。特に皆実のもの。原作を読んでいないので、原作にあるものかも知れず、それを確認しないまま書けば、次のセリフは印象が強い。(脚本は佐々部監督と国井桂。劇中のメモ書きなので不完全なところもあり、セリフの再現になったかどうかは厳密には疑問です。誤載があれば、ご指摘くださいますと助かります。)
「うちらは誰かに死ねばいいと思われてた」
「原爆は落ちたんじゃのうて、落とされたんよ」
「13年もたってちゃんと思うてくれとるかな、一人また殺せたって」
このセリフには、殺されることへの意味付けをせざるを得ない夕凪の街の主人公の悲しい思いがあり、殺されいく恨みがある。言葉にしないと確認できない事実がある。
かたや、銭湯のシーンではケロイドを持つ市井の人々は原爆を「語らなくなった」と。
そして、桜の国では「被爆」を隠す。
高校の卒業式で、最後の祝辞に校長が「私は被爆者です」と言った。そのとき私の気持ちは「え、だから」だった。「しかたないじゃん」と。場所は横浜。「原爆被爆」は私たちにとってはただの歴史のひとつ。しかし、校長にとってそれは、どれだけ重いことであったか。いまさらながら、その思いに胸つぶされる。
桜の国が少し弱かったかな。田中麗奈も少しぎこちなかったように思う。被爆者差別を浮き彫りにしたかった恋愛も、我田引水で世界が小さくなってしまったのは否めない。
しかし、日本という国に居る私たちの観るべき映画のひとつであることには変わらないと思う。
4人がこのレビューに共感したと評価しています。
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Re: セリフがね!
2007/08/18 by
星空のマリオネット
黄水仙さん、はじめまして。
黄水仙さんご指摘の「台詞」、確かに印象に残りました。
他の場面からは想像できなかった言葉だったので、ドキッとしたし・・・唐突感もありました。
普段の生活の中では自分を責めていた彼女が、最期に初めて加害者に対する「恨み」の言葉。観客を挑発するような言葉ですね。
彼女は最期のときを迎え、自分だけ生きているということによる罪の意識の重圧から悲しいかなようやく解かれ、自ら抑え込んでいた怒りの感情が湧きあがったのでしょうか。苦しみ続けた13年という歳月。いま愛する人を前に、生きたいけれど死んでいくという千切れるような苦しみの発露。
それまでの皆美の静かな気配からは想像できない激しい言葉で、この映画の流れからして違和感もありました。
しかし、黄水仙さんの、「 銭湯のシーンではケロイドを持つ市井の人々は原爆を「語らなくなった」と。そして、桜の国では「被爆」を隠す。 」というフレーズを読んで、
何故、作者がこのような唐突感のある激しい言葉を皆美に言わせたのかが、わかったような気がします。
「うちらは誰かに死ねばいいと思われてた」
「原爆は落ちたんじゃのうて、落とされたんよ」
「13年もたってちゃんと思うてくれとるかな、一人また殺せたって」
13年も経って、落した方は忘れているかもしれません。忘れたがっているかもしれません。でも、忘れさせないという強い意志があります。
また、長い年月に亘り、世代を継いで襲ってくる原爆のもつ特殊な「非人道性」を告発する言葉です。
その訴えは、原爆を落とした側にだけ向けられている訳ではないのですね。
映画としての出来というか「満足度」には大きな疑問符のつく作品ですが、「黄水仙さん」や「成層圏さん」たちのレビューを読んで、考えさせられることの多い題材を含んだ作品だということを実感させられています。 -
改めて時代を考えると。。
2007/08/18 by
taru
>>原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。原爆投下への謝罪と受け止められることも懸念し、被爆者と他の戦災者を区別しない方針を固めていた。米国は当時の冷戦下で、非人道的と非難されて原爆が使いにくくなるのを防ごうとしていたとされ、研究者は「被爆者への対応も核戦略の中に位置づけられていた」とみている。
(朝日新聞 2007年8月6日)
<リンクURL>
米国が作った原爆傷害調査委員会(ABCC)は広島を見下ろす比治山の上に作られ、被爆者を調べはしても決して治療はしなかったのです。その理由が、今年の朝日新聞に掲載されていました。
戦後、日本は進駐軍の占領下にあった訳ですが、被爆者に関しては、死ぬべき者はすべて死に、もはや被爆者なんていないというのが彼らの主張でした。ですから、原爆に関する研究はもちろん、文学的な作品も長い間出版禁止の措置が取られていました。戦後日本には検閲制度があったのですよ。ですから、日本人の中にも被爆者の問題は長い間よく理解されない状態が続いていたのです。
で、日本が独立国となってからはアメリカの核の傘の下に入りましたから、日本政府は被爆者に対しては冷たい態度で終始しています。原爆による放射線の影響は極力ないという方向で話をまとめたい訳ですね。そして、それは実は被爆者自身にとっても、放射線の影響はあるというよりもないという方が、被爆者差別の問題から言えば何かと好都合な訳で、実に微妙な問題なのです。
で、被爆後13年経って死ぬ皆実が、本当に放射線の影響で死んだということを<科学的に>証明できるのか。そんなことは出来ない。たまたま何かの病気で死んだのかもしれないというのが、今に至るも続く日本政府の立場なのですね。
皆実の言葉は、実は被爆者にとっては当たり前の言葉にすぎませんが、それをこうして映画の中ででも言うことができたということは、とても重いことなんだと思います。 -
Re: セリフがね!
2007/08/18 by
黄水仙
星空のマリオネットさん、こちらこそはじめまして。レス、ありがとうございます。ゆっくりと読まさせていただきました。そして、すみません、あえて少し突っかかった感じの感想や意見を申し述べさせていただきます。映画とは少し外れていくかもしれませんが、「映画」とは、観客がそれを受け止めて完成するもの、という定義(どなたの定義であったか失念しましたが。)に従い、大きな意味で、「この映画」を語りたいと思います。少しだけお付き合い下さい。
> 普段の生活の中では自分を責めていた彼女が、最期に初めて加害者に対する「恨み」の言葉。観客を挑発するような言葉ですね。
☆最期のときばかりではなく、劇中、皆実は何度となく似たようなニュアンスの言葉をつぶやいています。それは、当時の広島や長崎の人が当たり前のように思っていたこと何だと思います。「大人」であった当時の人たちは、そんな恨みがましい言葉で人生を暗くするよりも、前向きに人生を生きることを選んだのでしょう。だから、みな、だんだんその話はしなくなるんだと思います。
☆しかし、現代を生きている、もっとはっきりといえば、被爆していない私たちにはそんな「怖い心情」までは推し量れません。「自分は生きていていいのだろうか」との自問自答で終始する物語が多い中で私たちは、特にこの「本音」を知ることができなかった。この映画を観て初めてそこに思いが至ったのです。「自分を殺そうと思った人が居る、その人に殺されるんだ、見てろよ、あんたの思うとおりになった、これで満足か」っていう、私たちが推し量れる被爆者たちの気持ち(それは何回となく映画やその他のニュースソースから聞かされていた気持ち)とともにある、もうひとつの本当の気持ちに。
> 彼女は最期のときを迎え、自分だけ生きているということによる罪の意識の重圧から悲しいかなようやく解かれ、自ら抑え込んでいた怒りの感情が湧きあがったのでしょうか。
☆だから、この解釈は少し違うんじゃないかと思うんです。『自分だけ生きているということによる罪の意識の重圧』と原爆を落とした人へのうらみつらみは、ひとつの気持ちの頭の部分としっぽの部分なんでしょう。(順番から言えば反対のポジションかもしれない。苦しいことがあると人間はよくこんな風にして自虐的な自分をなぐさめるような転換をするものです。)頭が出てくれば、ずるずるとしっぽまで繋がって出てくる一連の感情。重圧から『ようやく解かれ、自ら抑え込んでいた怒りの感情が湧きあがった』のではない。最初から、いつでも、この怒りはワンセットであったのだと思います。だから皆実は、いつも、会社の前の井戸で手を合わせる。ただの犠牲となった同胞たる他人への鎮魂だけではなく、その感情に連なりその先につながっている、自分の「攻撃的な」感情に対する「鎮魂」あるいは「確認」。それは一種の儀式でもある。自分に好意を持ってくれる青年に、そんな恐ろしい気持ちの、たとえその端くれであったとしても、それをしている自分を本当は見てもらいたくない、それでも手を合わさざるを得ない、そんな強い気持ちなのだと思います。もちろん、自分が井戸に手を合わせることで「被爆者」とばれてしまうことを恐れたので一瞬戸惑ったが、やはり、手を合わせてしまったと、普通に(しかしこの映画を観てからはそれが薄っぺらく思えてしまう)解釈をすることのできるシーンではありますが。
> 苦しみ続けた13年という歳月。いま愛する人を前に、生きたいけれど死んでいくという千切れるような苦しみの発露。
それまでの皆美の静かな気配からは想像できない激しい言葉で、この映画の流れからして違和感もありました。
☆だから私には、これらのセリフは『想像できない激しい言葉』でもなく、そしてそれに『違和感』はないのです。彼女にしてみれば、当然なのです。当たり前なのです。静かな気配の人であろうと、激しい感情を持つ人であろうと、それは同じなのです。
☆『違和感』は、何で今までの映画、少なくとも私が観ていた何本かの原爆物語にこれらの「攻撃的な」セリフがなかったかということなのかもしれません。
> また、長い年月に亘り、世代を継いで襲ってくる原爆のもつ特殊な「非人道性」を告発する言葉です。
その訴えは、原爆を落とした側にだけ向けられている訳ではないのですね。
☆星のマリオネットさん、すみません、さらに過激なことを言います。これらのセリフはまさにこの『原爆を落とした側にだけ向けられている』のです。アメリカにです。このセリフをこの『また、長い年月に亘り、世代を継いで襲ってくる原爆のもつ特殊な「非人道性」を告発する言葉です。その訴えは、原爆を落とした側にだけ向けられている訳ではないのですね』というように薄めてはなりません。私はそう捉えました。たまたまですが、この次のtaruさんがまさにその裏付けをして下さっています。
☆差別の対象となり、語られなくなった被爆。それよりもさらに原始的な感情である「誰が私を殺そうとしたのか」いいや、「アメリカが私を殺そうとした、そしていま、殺されていく」という本音は、被爆者以外、その本音の存在さえ気づかない。この映画は、それを告発しているといっても過言ではなく、その意味ではやはり、広島長崎のある日本に住むものが観なければならない映画のひとつであるとおもうのです。
☆すこし、熱がこもりすぎました。筆が走って、失礼になったところがあるかもしれません。すみません。 -
Re: 改めて時代を考えると。。
2007/08/18 by
黄水仙
taruさん、レス、ありがとうございます。
客観的な「史実」で、当事者たちの「真実」を浮き彫りにしていく手法・考え方に敬服いたします。
> 皆実の言葉は、実は被爆者にとっては当たり前の言葉にすぎませんが、それをこうして映画の中ででも言うことができたということは、とても重いことなんだと思います。
☆本当にそうですね。私のようにのほほんと、統制された情報の中、事実上何も知らないで、いまさらながらこのような「真実」に驚いているものがいるわけですから。
☆やっぱり、この映画、たくさんの人に観てもらいたいですね。 -
感傷的に過ぎるのではないですかね。。
2007/08/19 by
taru
>>星空のマリオネットさん
>13年も経って、落した方は忘れているかもしれません。忘れたがっているかもしれません。
「リメンバー・パールハーバー」ですよ。卑劣なジャップ!神風特攻を仕掛けてくる理解不能の民族。一億総玉砕なんて言ってるんですから、本土決戦になったらどれほどの犠牲者が出たことか。。原爆は日本を降服させるためのやむを得ない決断であった。。というのが、今もってアメリカ人の多くが信じている原爆攻撃の正当性であり、また(たぶん)、多くのアジア諸国家もその通りだと思っている事柄です。ですから、決して忘れたりしていませんし、その必要もありません。(イラクの人たちが、原爆を落とされたにも関わらず復興した日本人に強い連帯感を表明していたのには少し驚きましたが。)
さらに冷戦下における軍拡競争時代には、広島型原爆の○倍の威力などと言ってその威力を誇っていたのですからね。ヒロシマは貴重な実験場だったのです。アメリカが「忘れたがっている」なんていうのは、余りに感傷的に過ぎる見解だと思います。 -
Re: セリフがね!
2007/08/21 by
星空のマリオネット
黄水仙さんからのリアクションに少し驚きました。
私としてはあなたの指摘のおかげで気づくことができたことがあったので返信させてもらったのですが、本作を映画として低くしか評価していない者がレスするのは良くなかったのかなと、いま思っています。ただ、私の言葉を誤解されているようなので、簡単に説明だけしておきます。
「自ら抑え込んでいた怒りの感情が湧きあがったのでしょうか。」というフレーズの意味するところは、文字どおりのものです。怒りの感情は皆実の中に常に存在しているけれど日頃はそれを抑え込んでいた。しかし、(最期の時に)その感情が表面にまで湧きあがったという、ごく単純な意味です。
そして、皆実の最期の時のその激しい言葉に、私は驚かされました。作者も読み手(観客)にインパクトを与えたいと思っていたのではないかと想像しています。
被爆のため亡くなっていった人達が、どういう気持ちであったのかは私には分かりません。この映画の皆実と同じ気持ちをいだき亡くなっていったのかもしれなし、それ以外の強い感慨をかかえて亡くなっていったかもしれません。その気持ちを決め付けたりするのは僭越以外の何物でもないと思います。私自身は最期の言葉がこの言葉だったことに、なお違和感をもっています。「「違和感」はないのです。」と決め付けられても戸惑うばかりです。
最後に、あなたの「(皆実の最後の言葉は)原爆を落とした側だけに向けられている」という見方、これは誤った見方であると思います。この台詞はこの作品を観ている人に向かって発せられた言葉でもあります。あなたの言うように、原爆投下を正当化してもいる投下国アメリカによって殺されるという怒りであるのはもちろんですが、被爆者に対して冷たい日本という国家と国民に対する怒りというか「訴え」の言葉であるとも考えます。その「訴え」がなく、単にアメリカへの攻撃・恨みの言葉で皆実の生涯が閉ざされたとは思えません。
「taru」さんのコメントへも一言。
「13年も経って、落とした方は忘れているかもしれません。忘れたがっているかもしれません。」という私の言葉に対して、「感傷的に過ぎるのではないですかね。。」というコメントをもらいました。
「「リメンバー・パールハーバー」・・・」というあなたの文章を呼んでいると、「鬼畜米英!」という合言葉まで思い出しました。
核兵器を否定できない米国が原爆投下をいまだに正しい選択という立場をとっています。しかし、被爆して無残に亡くなった人達や後遺症に苦しむ人達に対して罪の意識がないとか、その話題を避けたり隠したりしないでも平気でいれるとしたら(即ち「忘れたい」とも思っていないとしたら)、まるでアメリカ人は人間ではないと言っているのと同じだと思います。マンハッタン計画のリーダーであったオッペンハイマーが原爆投下後、原爆反対の立場をとったことは有名な話ですし、広島・長崎の被爆展をアメリカ国内で開催するのに妨害が入るというのは、アメリカのある勢力が自分達の正当性を揺るがしてしまう「被爆の非人間性」をアメリカの一般の人々に見せたくない、隠したいという現われだと解釈していました。
私はこのような意味で、「13年も経って、落とした方は忘れているかもしれません。忘れたがっているかもしれません。でも、忘れさせないという強い意志があります。」と書きました。皆実の最後の言葉に「隠蔽させないという強い意志」が含まれていると思ったからです。
蛇足ですが、原作漫画が明日に向かって強く生きていく「桜の国」でそのまま終っているのに対し、映画の方は最後にまた夕凪の街に戻り、亡くなった皆実のシーンに戻ります。私はこの映画のメロドラマ性を象徴して部分でもあると思っています。 -
歴史をきちんと見ておくこと。。
2007/08/21 by
taru
広島に投下された原爆の約1,000倍、第2次世界大戦の爆弾総量の約5倍の威力がある「ブラボー」と名付けられた15メガトンの水爆が爆発して多くの人を被曝させたのは、1954年のことでした。私たちが食べる魚も放射能で汚染されましたから、この時初めて日本で大きな反核運動が盛り上がりましたが、被曝した第五福竜丸の人たちに対する態度は、アメリカ政府も日本政府も実に冷淡なものでした。
「原爆という非人間的な兵器はこれ以上絶対に使ってほしゅうない」という単純にして強烈な被爆者の願いが一貫して無視し続けられているのは、もしもの場合は、<いつでも躊躇なく三度目の原爆を使用する>というアメリカの核戦略があるからです。冷戦が終わった現在でも、基本的な考え方に変更はありません。
ですから、「落とした方は忘れているかもしれません。忘れたがっているかもしれません。」というのは、<感傷的に過ぎる>とコメントしましたが、正直に書けば<噴飯物>だと思います。
>皆実の最後の言葉に「隠蔽させないという強い意志」が含まれていると思った
という貴方の受け止め方は、今現在の貴方ご自身の受け止め方として尊重しますが、<原爆はこれ以上絶対に使うてほしゅうない>という被爆者の血を吐くような思いが込められていることに気がついてほしいと思います。
映画では、ここに私が書いてあるような政治的な背景は全く捨象されていますが、同じ目的地へ向かう表と裏の違いであって、向かう所は全く同じだと思います。ただ、ここではあえて個人の私的な生活空間とは逆の大きな目で見た方が分かりやすいと思って書いています。いたずらに政治的な言辞を弄するのが目的ではないことはご理解いただけると思います。
>マンハッタン計画のリーダーであったオッペンハイマーが原爆投下後、原爆反対の立場をとったことは有名な話ですし..
アジア諸国に侵略していった日本軍人が、まるでロボットのように他国に侵入して行った訳ではないし、個々の場面においては色々な個人的な悩みや苦しみがあったであろうことは当然ですし、それはそれで貴重なことだと思います。しかし、それが日本が犯した間違いの免責にはなりません。それと同様、原爆の非人間性に驚いて個々人がいくら原爆反対を唱えようと、アメリカ政府の取っている核戦略の非人間性を免責するものではありません。 -
素直に受け止めてみると。。
2007/08/21 by
taru
>「原爆は落ちたんじゃのうて、落とされたんよ」
原爆が落ちて来たという言い方は、敗戦を終戦と言いくるめるのと同様の、言葉のまやかしがあります。それは、物事をはっきり言わないのを良しとする日本人の言語習性によるのかもしれませんし、或いは、戦後の日本を統治していた進駐軍(アメリカ)に対する遠慮がそういう表現になったのかもしれません。
しかし、原爆が落ちたのではなく、落とされたものだというのは、ヒロシマの人間にとっては当たり前のことで、皆実があそこで特別なことを言ったという訳ではありません。
で、皆実の言葉が誰に向けられた言葉かと言えば、当然、考えるまでもなく、<原爆を落とした者>に向けられているのは、容易に理解できる事柄なのではないでしょうか。 -
Re: セリフがね!
2007/08/21 by
成層圏
> 「原爆は落ちたんじゃのうて、落とされたんよ」
1.日本の政治家(選んだのは・・・・)がダメだったから・・・落とされたんよ。
2.アメリカに・・・落とされたんよ。
原作者は1のような気がするが・・・。 -
ほう??
2007/08/22 by
taru
>>成層圏さん
わたくし、原作を読んでいませんので質問しますが、
1の場合、
a.日本も原爆を早く開発して、アメリカに落っことせば戦争に勝てたのよ。日本の政治家(軍人)が根性無しだからこんなひどい目に合うんよ。
b.勝ち目もなく開戦し、負けが確実となっても国体の維持とかつまらんことにこだわって、本土決戦なんてバカなことを言ってるから原爆を落とされたんよ。さっさと負ければよかったんよ。鬼畜米英なんて言ってたけど、アメリカさんはいい人よ。日本の政治家なんてウソばっかり。。
の二つの解釈があろうかと思うのですが、原作はどちらでしょう?
ちなみに、映画で観る限りは、わたくしは単純に2としか解釈できませんでしたが。 -
Re: セリフがね!
2007/08/22 by
星空のマリオネット
taruさんへ
taruさんの言われていることは、私も「常識」として凡そ知っていますよ。
私もいい年です。「米帝打倒」という立て看板が林立するキャンパスで学生時代を過ごし、核を搭載していた空母エンタープライズの佐世保入港に激していました。
「軍事」に限らず、例えば「金融」であっても国際的な大義名分というそれなりの衣装を纏っていますが、極めてエゴイスティックな世界だと思います。それを感情的に捉えたり感傷的に捉えたりしているつもりはありません。
taruさんが言う政治的なことについても、それ自体として別に違和感がある訳ではありません。また、アメリカを擁護しているつもりも全くありません。誤解なきように。
ただ、この映画を観た感想はこのサイトに書いたとおりで、昨日も説明を加えたところです。
それでもなお理解いただけないとしたら、大変残念です。
他人の言葉の意味(真意)をいつのまにか誤解して捉え、それに批判を加えてしまうという「自作自演」のようなやりとりにならないよう、私自身気をつけたいと思っています。 -
Re: セリフがね!
2007/08/23 by
成層圏
> 「原爆は落ちたんじゃのうて、落とされたんよ」
taruさんへ
8月のお盆が近づくと新聞紙面には「戦争は悲惨だ、辛かった、もう嫌だ」と言った受身型被害者型の意見が溢れます。戦前は軍部独裁ではなく選挙制という民主主義機構が機能していましたから、自分だけ良い子になる言い方はいいかげんにして欲しいと思っています。その見地から1.2.と書いてみました。
別項に書きましたが、私は「わしズム」のこうの史代さんしか知りません。昨年の夏号巻頭漫画が印象的です。「古い女」と題された作品。
主人公の古い女は、
「この人ならばと思ったのでした」
と結婚し、
「いつ来るだろう」
「いつ来るだろう」
「いざという日は」
と思いながら、チラシの裏に漫画を書いて生活し、やがて子供を授かり、あやしながら
「そう この人ならば大丈夫」
「いざという日にニッコリ笑って送り出せる」
「戦争で死んでも 万歳と慶んで差し上げられます」
と、独白するのです。
> 「13年もたってちゃんと思うてくれとるかな、一人また殺せたって」
「13年もかかってしもうたか。手強い女だったな」
という悪魔と黄泉の国で向かい合い散華するのでしょうか。 -
はあ??
2007/08/23 by
taru
>>成層圏さんへ
>戦前は軍部独裁ではなく選挙制という民主主義機構が機能していましたから、自分だけ良い子になる言い方はいいかげんにして欲しいと思っています。その見地から1.2.と書いてみました。
被爆者の「加害者責任」などと言っている<ばか>がいます。アジアの人たちに対する加害者としての自覚と反省がないというのですね。
しかし、原爆の非人間性というのは、戦闘員・非戦闘員の区別なく、男女も年齢も関係なく無差別に大量に人を殺してしまう所にあります。この映画で言えば皆実は10代の女の子で被爆しているのだと思いますが、選挙権もなく、時代の価値観を取り合えず受け入れるしかなかった人間にも、お前はそういう日本人だったんだから、被爆したのも当然の報いなんだよという訳ですね。
<ばか>も休み休み言ってもらいたいですね。
それは戦後の一億総懺悔と同じ発想で、結局本当の戦争責任者を追及することを誤魔化しているものです。
同じ被爆者でも軍人の場合は恩給がでますが、民間人には出ません。軍人に対してはその責任は追及できると思いますが、何の補償ももらっていない、ただ命令で工場で働かせられていただけの学生や、生まれたばかりの赤ん坊にまで戦争責任を追及するのですか?頭が悪すぎではないですか??
(ちなみに、戦前には女性に参政権がなかったことはご存知なんですか?)
同じ被爆者でも敗戦の日をどのように迎えたのかは、実に様々です。これで戦争が終わった、解放されたという人ばかりではなかったのですね。こんな目に合されて、日本は必ずアメリカに復讐してくれると思っていたのに。。負けてくやしい!!と泣いた人もいたのです。
で、皆実はどちらの人間だったのだろうかと疑問に思い(わたしくしは原作を読んでいませんので)、a、bのどちらかと質問した訳でした。でも、そもそも皆実のこの言葉は映画の脚色だという他の方の書き込みがありました。そうだとすると、
>原作者は1のような気がするが・・・。
というあなたの書き込みはウソということになりますね。
>。。「13年もかかってしもうたか。手強い女だったな」
という悪魔と黄泉の国で向かい合い散華するのでしょうか。
意味不明です。皆実は「古い女」ではありません。
この話は映画から離れ過ぎましたので、わたくしはこれ以上の言及はお終いにしたいと思います。
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