パッチギ! LOVE&PEACE (2007)
»レビュー
面白いけど/★★★
2007/05/22
by
odys
最初に私の立場をはっきりさせておく。というのはすでにこの場所で、政治的立場を優先させたレビューがいくつも書かれているからだ。おのずと、点数は満点かそれに近い点数、もしくは零点かそれに近い点数となる。つまり両極端に片寄ることになる。
私はそれらに与しない。私はこの作品に限っては政治的な立場を優先しない。映画として面白いかどうかを優先させる。
繰り返すが、それは「この作品に限って」である。つまり、この映画の特質を考えてのことである。映画によっては政治的な立場を優先させて論じるべき作品もあるだろう。しかしこの映画は、多分井筒監督の意図を裏切って、そうではない作品に仕上がっているのである。
私は井筒監督が政治的な思考家として優れているとは全然思わない。むしろその思考は穴だらけである。しかし彼の天性の映画作家たるところがこの作品にもはっきり表れている。私はそこを買う。その一方で政治的な思考家としては低能力であるがゆえに減点もせざるを得ない。したがってこの点数である。
まず、この映画は前作の続編ではなく、「もう一つの在日の物語」と見るべきだろう。たまたま兄妹の名前が同じだと思っておいた方がよい。場所も京都から東京へ移っていることだし、俳優も入れ替わっているし、何より前作のキョンジャの相手役が姿を消している。無理に前作との連続性を求めないほうが自然だし、またそうしたほうが映画として面白く見ることができる。そういう見方をするなら、この作品には映画としてすぐれた部分が少なくないことが分かるはずだ。ケンカのシーンにしても、難病をかかえた子供のエピソードにしても、東北地方から上京して国鉄職員として勤務していた男の物語にしても、いまどきこういうお話を映画に盛り込むとダサい感覚がつきまといそうなのに、それなりに見せる映画に仕上がっているのは、映像作家としての井筒監督の力量だろう。そこは率直に認めるべきだ。
しかし欠点も少なくない。
まず、キョンジャの生き方に無理が感じられる。底辺での暮らしから抜け出そうとして芸能界を目指すところはよい。だが西島秀俊との関係では、彼がどういう男であるかは彼と以前付き合っていた女優の忠告からも、また芸能界という場所の特質からも明らかなのに、行為の直後に「親に会ってくれ」というのは変である。そもそも、上村一夫の有名なマンガ『同棲時代』が72年から雑誌連載を開始して大人気をはくし、「同棲」という言葉が流行語になっていた時代なのである。ここで井筒は時代感覚を完全に無視している。
だから西島が何を求めているかは最初から分かっていなければおかしいし、またそれほどにキョンジャがウブなら、その後すぐにプロデューサーの部屋に行って映画の話をまとめるほどの「したたかさ」を持っているのはなお変である。ついでに、そうまでして映画出演を勝ち取ったのに、封切時の爆弾発言は輪をかけて変である。つまりキョンジャの人物設定に明らかな無理があるというしかない。それは。彼女が在日であるが故に西島秀俊から「人種が違う」と差別されたり、爆弾発言の場所がなければならなかったり、主人公が「反戦平和」の思想を持っていなくてはならないという、理念上の要請から来る無理なのである。
あの頃、つまり70年代半ば、たしかに在日は今のように素性をおおやけにはしずらかったと思う。けれども、当時活躍した山口百恵が在日だという噂がありながらも引退まで高い人気を保ち続けたように、芸能界に在日が多いというのはいわば公然の秘密だったし、そう言われてすぐに人気が落ちるというわけでもなかった。山口百恵は、歌の上では奔放なイメージを振りまいていたが、その人気にもかかわらず80年に三浦友和と結婚してあっさり引退し、引退後は「友和さん以外の男は知りません」と言ってのけた。見事なものである。そうした見事な実例を私たちはすでに知っているのであって、それと比べるとキョンジャの生き方の不自然さと無理とがはっきり浮かび上がってくると言うしかない。フィクションはとっくの昔に生身の在日自身の生き方に追い越されているのである。
それと、女子挺身隊の話が回想として出てくるけれども、ここはかなり問題がある。女子挺身隊は従軍慰安婦とは別物だが、しばしば混同されており、この映画は混同されることを目指していると言われても仕方がないだろう。なおここのレビューで、従軍慰安婦の強制連行を最高裁が認めたと書いている人がいるが、最高裁が認めたのは中国についてであって、朝鮮半島については資料がそもそも公になっていないのであるから判断のしようがないし、今のところ「強制」の証拠は挙がっていないと言うしかない。また労働者については、「強制連行」という言葉を用いることが不適切で「徴用」と言うべきであることは、私は前作のレビューですでに指摘した。
この映画は、サイゴン陥落によってヴェトナム統一が成立したとの報道に接して、朝鮮半島も統一されればという希望を在日が述べるところで終わる。朝鮮半島からもヴェトナムからも遠く離れた在日がそういう希望的観測を抱くのは分からないではないが、それは逆に言えば彼らがいかに政治的にウブだったかということの証拠でもある。(井筒監督もウブな人だからそのレベルでの描写なのだと思えばよい。)実際、当時の韓国政府は今よりはるかに反共的であって、ヴェトナム戦争には米国に協力して兵士を派遣していたのである。韓国兵士と当地女性の間に子供が生まれて問題になったりもした。つまり、キョンジャの反戦的な思いは、同時代の韓国政府自体によって裏切られていたのであって、在日が反戦平和を訴えたいならば、昔の日本を問題にするより先に、彼ら自身の故郷であるはずの同時代の韓国政府に向かって「ヴェトナムに兵士を送るな」と要請することのほうが先決だったはずである。そして統一されたはずのヴェトナムからは大量のボートピープルが海外に逃げ出し、ヴェトナム統一の内実が問題とされるのは、このすぐ後のことだ。この映画での在日の政治的な発言は――当時の日本人にも多く見られたことだが――きわめて浅いレベルにとどまっている。
井筒監督はこの映画で石原慎太郎を揶揄しているようだけれども、私は井筒と石原は実は似たもの同士なのではないかと思う(ただし石原の映画は見ていないが)。「ラブ&ピース」と副題がついているけれども、『パッチギ!』は正編もこの続編もケンカの映画である。井筒はケンカが好きなのだ。ケンカが好きな人が「ピース」と言うのは筋が通らない。そして戦争とは国家間のケンカである。井筒は内心では戦争映画が作りたいのではないか。私はふざけているのではない。本気である。(共産党批判を熱烈にやる人は、実はかつては共産党シンパであった場合が多いのである。)
最後に俳優について。沢尻エリカに代わって中村ゆりがヒロインとなった。私個人の好みだが、中村の方を買う。沢尻はキレイだが、キレイさがもう一つ心情の表現に結びつかない印象がある。中村は美貌であるのに加えてその点でも申し分ない。アンソン役の井坂俊哉とあわせてキャスティングはベストだと思う。
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該当部分は削除されることをお勧めします。
2007/05/26 by
taru
>>odysさま
映画の板でこんなことを書くのはどうかと思っていましたが、やはり書いておかなくては映画論にも入れないと思い直し、書かせていただきます。
あなたは、「キョンジャの生き方の不自然さと無理」を言うために山口百恵を例に挙げ、
>当時活躍した山口百恵が在日だという噂がありながらも引退まで高い人気を保ち続けた
>山口百恵は、歌の上では奔放なイメージを振りまいていたが、その人気にもかかわらず80年に三浦友和と結婚してあっさり引退し、引退後は「友和さん以外の男は知りません」と言ってのけた。
と述べ、それに対して「見事なものである。」「そうした見事な実例」と言い、「フィクションはとっくの昔に生身の在日自身の生き方に追い越されている」と書いています。
つまり、<生身の在日>とは山口百恵のことであり、ここであなたは「うわさ」の話ではなく、実例と断定して書かれているのです。
ところで、私は山口百恵のデビューから引退までをリアルタイムに知っていますが、芸能界の裏情報などはほとんど興味のないただのおやじに過ぎませんので、彼女に関するそのようなうわさはあなたのこの書き込みで初めて知りました。まあ、そういううわさがあったと言われればそうなのかとは思います。しかしあなたの書き込みはうわさではなく、実話として書かれているのですね。
これって、どう考えてもおかしいですよね。
有名なプロレスラーが韓国のレスリングオリンピック代表になって出場していて、その在日の証拠が写真誌にスクープされたとかいう例はありますが、普通自分から明らかにしない限り、うわさはあくまでうわさとして扱うのが社会人としての当然の礼儀というものですよね。特に芸能界とかは競争相手がたくさんいるので、うわさが意図的に流されたりすることも多いでしょうから、そういううわさを鵜呑みにするのはまともな大人のやることではありません。
そもそも、山口百恵さんはすでに芸能界を引退した人間で、以後は全く芸能界とは断絶してこられている方です。山口百恵さんが在日であろうがなかろうが、本人が全くあきらかにしていない事柄を、こんな所でいかにも自分は本当のことを知っているというスタンスで書き込みをするのは、本当に恥ずかしい行為だということが、あなたには分かっていないのでしょうね。それとも、山口百恵さんが実はどこかで告白しているのでしょうか。ところがそれがそもそもうわさだったりもしますが、あなたを感心させるほどのしたたかな人間(らしい)彼女が、そんなことをするとも思えません。
そもそも、あなたはそれがうわさではなく事実だと断定できる立場(彼女の関係者)なのでしょうか。また、仮にそうであっても、それをここに書くことを彼女に承知してもらっているのでしょうか。
私にはとてもそうは思えないのですが、だとすれば、該当部分を全削除されることが妥当だということを指摘しておきたいと思います。その場合は、もちろん私のこの書き込みが(管理人さんによって)削除されても構わないということは、当然ですがお断りしておくことにします。 -
taruさんへのお答え
2007/05/27 by
odys
taruさん
真摯なご意見、ありがとうございます。
山口百恵に関しては現役当時からそういう噂があったことは事実です。私も彼女の現役時代はリアルタイムで知っています。また、私は読んでいませんが、彼女が在日だと指摘している書物も出ているようです(植田剛彦『在日韓国人の底力』)。ただし、書物に書いてあるから本当とは限らないということは無論考えておく必要があります。
山口百恵はすでに芸能界を引退した人間であり、プライヴァシーはそれ相応に尊重すべきでしょう。しかし同時に、彼女は引退後も雑誌などでしばしば取り上げられており、またご亭主の三浦友和は彼女の引退後に出した『被写体』という本で妻をも含めて芸能界や家族のことを書いているのです。つまり、現役芸能人ではないけれど、マスコミからは一定の著名人物として扱われる人だと言っていいと思います。三浦友和が本を出したのはそれを追認したものだろうと私は考えます。
ご指摘のように彼女自身は自分は在日だと告白してはいません。また上に挙げた植田剛彦の本ももしかするときちんとした検証なしで書かれている可能性もあります。そのことは強調しておいていい。
しかし私が山口百恵の例を出したのは、彼女のプライヴァシーに迫りたいからではなく、あの頃の在日芸能人が必ずしもキョンジャのように生きるしかなかったわけではないだろう、という例として挙げたわけです。無論例であっても、事実誤認があるというなら訂正しますけれども、今の段階では「彼女は在日だという噂もしくは指摘があるが、彼女自身は自分の出自について何も言っていない」ということを確認しておくにとどめたいと思います。
ついでに、taruさんの納得されるように出所のはっきりした話をあらためて記しておくことにしましょう。以下は野村進『コリアン世界の旅』(講談社)に依ります。
にしきのあきらという歌手がいます。彼は人気絶頂だったデビュー3年目(1973年頃。つまり『パッチギ! Love & Peace』の時代設定の直前くらい)に在日であることを告白していますが、それで人気が衰えたということはありませんでした。その後ヒット曲が出なくなり一時期芸能界の表舞台から消えますが、しばらくして復活します。つまり、在日であること、在日であると告白したことが芸能人としてダメージにはならなかったわけです。ちなみに、『パッチギ! Love & Peace』には、「在日がいなかったら紅白歌合戦は成り立たない」というセリフが出てきますが、これは上記野村進の本によると、にしきのあきらが在日同士の結婚式に招かれた席で発言したことになっています。 -
蒼い時
2007/05/28 by
YouandOthers
百恵さん自身が書いた、この本の中で百恵さん親子に金の無心をし散々彼女達を苦しめた朝鮮人の父親については詳しく書かれていたと思いますが、
(昔読んだので殆どの内容を忘れていますが)
この本の中の
『あの男は中学生の私を獣のような目で見つめていた』という内容が強烈に頭に残っています。
彼女は朝鮮人である父親に「お金で解決出来るのであれば」と
金を渡し縁を切った話はあまりにも有名でニュースにもなりました。 -
odys殿
2007/05/29 by
ファントマー
taruさんの指摘にもあるとおり、ここでの山口百恵の噂話を使っての比喩は問題ありと思います。
(意図しないミスリードです)
該当の12行は外されても主張としてなんらぼやけるものではないと思います。出来れば管理人さんに削除依頼の上、再投稿を期待します。 -
でたらめな記述はおやめなさい。
2007/05/29 by
taru
この掲示板でodysさんが、山口百恵さんが在日であるということを、そういううわさがあったという話ではなく、実話として援用されているのに対して、何ら確証もない上に本人が何も言っていない事柄を、あたかも何でも知っているかのようなスタンスで書くのは問題があるから、該当部分は削除されてはいかがかと申し上げたところ、odysさんは、山口百恵さんが「自分の出自について何も言っていない」ということは確認したが、自分の記述は削除しないという回答をされました。
そのさなかに、YouandOthersさんは「百恵さん自身が書いた、この本の中で百恵さん親子に金の無心をし散々彼女達を苦しめた朝鮮人の父親については詳しく書かれていたと思いますが」とか、「彼女は朝鮮人である父親に『お金で解決出来るのであれば』と金を渡し縁を切った話はあまりにも有名でニュースにもなりました。」などと書いて、あたかも百恵さんが自分で父親のことを朝鮮人だと書いてあるかのような紛らわしい文章を掲載されました。
非常に意図的に紛らわしい文章で、百恵さん自身が自分の手記の中で父親が朝鮮人であると書いてあるかのような、ひどいでたらめの文章だと思います。管理人さんがこの文章を、早急に削除されることを願います。
山口百恵さんの「蒼い時」の中には、自分の父親が朝鮮人だなどと、どこにも書いてはいないのですから。 -
そうでしたっけ?
2007/05/29 by
YouandOthers
taruさん読まれましたか?
余りにも昔読んだ本なので色んな内容と混乱してますが、
かなり衝撃的な内容だった事は記憶にあります。
でも蒼い時の記述でないとすれば 別の本で読んだものだったのかもしれませんね。
彼女についての記述は文春を含めあらゆる雑誌にも掲載されていましたから -
出生
2007/05/29 by
taru
「蒼い時」の第一章<出生>では父親のことが書かれています。山口百恵さんはこう書いています。
「私には、父はいない。一つの肉体としてあの人が地球上に存在したとしても、私はあの人の存在そのものを否定する」
彼女の父親が彼女の母親を知った時には、すでに父親には家庭があり、子供もいました。彼女は母子家庭として育ちます。彼女の戸籍の名前の上には「認知」という二文字が置かれています。週刊誌がその戸籍謄本を「出生の秘密」としてゴシップ記事にしたこともあります。
その後、タレント山口百恵が有名になると娘の金銭を当てにして、父親は親権を巡る訴訟を起こすのです。そのとき、彼女はこう母親に言ったといいます。
「お金で解決がつくなら、何百万でも、何千万でも、どこに借金したっていいから払ってしまえばいい。」
そして彼女は金銭で血縁を切ります。「あの人の存在は消えたのではなく、自ら私の手で切ったのである。そのことに対して私は、いささかの後悔もしていない」
という訳で、彼女は朝鮮人の父親がいやで金で縁を切ったなどという話でもなんでもありません。 -
まるで分かっていない
2007/05/29 by
taru
>でも蒼い時の記述でないとすれば 別の本で読んだものだったのかもしれませんね。
山口百恵さんの告白本である「蒼い時」と、文春等の雑誌の記事とではまるで中身の価値が違います。そのあたりをいいかげんに考えていては話になりません。
もちろん、私は「蒼い時」を読んだからこれを書いています。 -
taruさんの姿勢
2007/05/29 by
幼稚園児でも嘘はつく
taruさんの姿勢が分かりません。
taruさんはご自分のスレにおいて、こういう言い方をして議論を打ち切り、以降「文意は尽きている」と無視されました。
↓
>私は基本的に映画そのものの話題以外には余り興味関心が持てませんから
それなのに、
やたらとodysさんの「映画そのものの話題以外」に噛み付くのは、どいった心境の変化ですか?
自分の意見には、話題以外だと勝手にパスし、人の意見には食い下がる。
これって、
話し合う姿勢においても、感想においても卑怯といえる行為ではないでしょうか。
他者を批判する前に、ご自分の行為をご覧になってはいかがでしょうか。 -
訂正します
2007/05/29 by
YouandOthers
ただ一言
>という訳で、彼女は朝鮮人の父親がいやで金で縁を切ったなどという話でもなんでもありません。
軽蔑して切り捨てた父親が朝鮮人だったという意味で書いたのですが、
彼女自身の記述で書かれていないのであれば、
これは訂正します。 -
Re: 面白いけど/★★★
2007/05/30 by
taru
>映画の板でこんなことを書くのはどうかと思っていましたが、やはり書いておかなくては映画論にも入れないと思い直し、書かせていただきます。
と、私は初めに断っています。
つまり、odysさんの記事に映画論を挑む前提として、彼の記事には事実誤認があって、それを放置したままでは映画論自体が成り立たないので、まずその点を確認しておくということです。
具体的には上に書いてある通りなので読めばお分かりのはず。
なお、私はいずれの記事においても、他の方に議論の強要はしていません。ただ、一連の記事を読まれた方が自ずから判断されればいいだけのことだと思っています。
自分の問題提起に対して、必ず相手が応えてくれるというものではなく、相手が応えてくれない場合は、自分の問題提起の仕方が未熟だったのだと、私なら自分で自分を反省することにしていますので、幼稚園児でも嘘はつくさんもご参考になさってくださいね。
なお、↑の 幼稚園児でも嘘はつくさんの書き込みは、私に対する単なる誹謗中傷記事だと思いますので、ご注意申し上げておきます。 -
報告
2007/05/30 by
odys
山口百恵が『蒼い時』のなかで書いていることは、taruさんのご指摘の通りです。私も昔読んだきりでうろ覚えでしたので、昨日改めて読み直して確認しました。
ついでに植田剛彦『在日韓国人の底力』(日新報道)も調べてみましたが、113ページに山口百恵の名前が出てくるものの、「そういわれている」という書き方なので、自分で裏をとった記述ではないようです。
以上、ご報告まで。 -
ちょっとびっくり
2007/05/30 by
YouandOthers
teruさんのレビューには
これ以上の事もこれ以下の事も書かれていないのですが
まさかこれを参考になさった訳ではないでしょうね
http//farwest.blog6.fc2.com/blog-entry-215.html
:←HPを貼れないので省いています
本当に読んだの? -
taruさん話のすり替えは辞めて下さいね
2007/05/30 by
幼稚園児でも嘘はつく
>相手が応えてくれない場合は、自分の問題提起の仕方が未熟だったのだと、私なら自分で自分を反省することにしていますので
taruさんは、
別スレで、「私は基本的に映画そのものの話題以外には余り興味関心が持てませんから」と言って議論を拒否されています。
スレ主が答えるとか、返信のしかたが悪かったとかの問題ではありません。
こんな話のすり替えには、正直呆れてしまいますね。
taruさんが「映画そのものの話題以外には余り興味関心が持てない」ゆえ、それ以外の議論はしないと言い切っています。
ですが、
その姿勢がこのサイトのルールに抵触しないのなら、個人の自由です。
taruさんのお好きなように、振る舞えば良いと思います。
しかし、
一方で「映画そのものの話題以外には議論しない」と言って勝手に議論を打ち切り、パスし、一方では「映画論自体が成り立たないので」という言い方で映画以外の議論をし、削除を求め、「でたらめな記述はおやめなさい」と罵倒する・・・。
このような姿勢をしていれば、非難されるのは当たり前だと思いませんか?
不特定多数の方が話をするサイトの姿勢において、不信感を持たれるような行為は慎んだほうが良いとご注意申し上げているのです。
映画の内容云々の前に、人としての対話の仕方をもう少し
考えられてはいかがでしょうか。 -
Re: 面白いけど/★★★
2007/05/30 by
taru
>YouandOthersさん
あのサイトは参考に見させていただいたサイトですね。
あらすじをまとめる時に参考にさせていただいていますが、足りない部分は補足させていただいています。あらすじ以外の部分(筆者の見解)は借りていませんけれどね。
しかしこのサイトだけでは、「蒼い時」の中で山口百恵さんが父親が朝鮮人だなどと決して書いていないとは断言できないでしょ。私は一応全部読んだから、そんな記述はないと断言して書いているのですよ。もしそれが信用できないなら、もう一度ご自分でお読みになったらいかがですか。手元になければ、Amazonサイトで注文すれば、翌日には届けられます。別料金が掛かりますがね。もっとも、私が注文した時には在庫はあと3冊とあったから、まだあるかどうかは保証できませんがね。
>幼稚園児でも嘘はつくさん
自分が興味をもてない事柄(歴史の捏造云々ということ)についてレスしろと言われても、苦痛以外の何物でもありません。このサイトはいくら書いてもお金をもらえる訳でもないし、時間と労力の無駄と分かっている議論は最初から避けるのが賢明だと思います。
>私は基本的に映画そのものの話題以外には余り興味関心が持てませんから
と私は書いていますが、映画以外の話題には全く関心がないとは書いていない訳で、<余り>興味関心が持てないというのは、多少は興味関心を持つ場合もあるということ。。などと、不毛な言い合いをしてもこれこそ時間の無駄というもの。
>不特定多数の方が話をするサイトの姿勢において、不信感を持たれるような行為は慎んだほうが良いとご注意申し上げているのです。
>映画の内容云々の前に、人としての対話の仕方をもう少し
考えられてはいかがでしょうか。
しかし最後のこの言葉だけは、せっかくですからありがたく拝聴しておきますよ。幼稚園児でも嘘はつくさんも当然こういう精神で書き込みされていらっしゃるのだろうし、掲示板というのは、対話の仕方が中々難しい場所ですからね。 -
さて、キョンジャの生き方についてです
2007/06/02 by
taru
>odysさま
<「彼女(山口百恵)は在日だという噂もしくは指摘があるが、彼女自身は自分の出自について何も言っていない」ということを確認>されたなら、「生身の在日」=山口百恵という記述が不当なものだとは考えられないのでしょうか。「蒼い時」という本の中で、彼女は父親の戸籍に「認知」という形で入っていたとありますので、彼女の父親は日本人であると考えるのが妥当だとも思います。戸籍というのは、日本人しか持ってはいませんよね?少なくともodysさんはうわさだけで事実であると断定して書いてしまっているのですから、その部分だけでも訂正するべきだということを、重ねて指摘しておきます。
さて、それではやっと映画の話に入ることになりますが(苦笑)、「キョンジャの生き方に無理が感じられる」という点について少しだけ論じてみたいと思います。少しだけというのは、彼女の生き方をodysさんのように時代と絡めたり、他の在日の方との比較において論ずるのは、余りにも話が広がりすぎて話が一般論に終わってしまう恐れがありますし、↑の問題もまだ訂正されていないからです。
それにしても、そもそもキョンジャを山口百恵やにしきのあきらと比較する意味がよく分からなかったりもするのですがね。キョンジャは自分の出自を特に隠す気はなかったけれども、当時の芸能界のやり方としてそれに従っただけだし、結局最後は舞台挨拶の場面で告白しています。ですから、山口百恵の例はややこしくなりますから置いておくとしても、「キョンジャの生き方」というならにしきのあきらと比べると彼と同じということにしかなりません。
芸能界の風潮に関しては彼女の責任ではありませんからね。そして芸能界ということで言えば、現在でも同じようなことをしている(一部の)人間が相変わらずいるらしいことは、eiga.comでも報告されています。
<リンクURL>
とは言え、キョンジャの生き方という点については、odysさんの言い分も十分に成り立つとは思います。私が見ても展開がいかにも急ですし、舞台挨拶の場面はそこまでやるかぁ?!って、私も鼻白んでしまいました。しかし、井筒監督も芸能界の人間ですから、舞台挨拶のあのあり得ない展開というのは、十分に確信犯的に演出しているはずで、この舞台挨拶の場面から逆に映画を振り返ってみますと、私にはすべてが明白になったのでした。
つまりは、この映画の主要テーマは、明らかに「俺は、君のためにこそ死ににいく」(的なもの)に対する挑戦状なのでした。「俺は、君のためにこそ死ににいく」は、単にこういう特攻隊員たちのすごい生き様(死に様)があったのだというだけでなく、見事に死に切ってこそ美しいという美学があり、若者たちにそういう生き方を推奨する映画であることは間違いありません。それに対して、「パッチギ! LOVE&PEACE」は、<どんなことをしてでも生き抜け>ということを教える映画です。そしてそれを、井筒監督独特の浪花節的な世界観で映像化しているのです。「ゲロッパ! −GET UP!−」で笑いと涙のエンターテイメント映画を成功させた井筒監督は、この映画でも十分にそのエンタメ性を発揮させているのであって、その範囲内での過剰な演出(けんか等)やらしつこいまでのつっこみは、あくまでエンタメ映画の範囲内でのことであって、好悪は完全に分かれるとは思いますが、私的には許容の範囲であったということですね。そもそも、監督やら原作者の世界観や美学のために登場人物が造形され、操られるというのはルポルタージュ以外は当たり前のことであって、非難されることでも何でもありません。もちろん矮小化された政治に芸術が奉仕させられるのは真っ平ごめんですが、この映画は、もう少し広い世界を扱っていると思います。
話が長くなりましたので最後にまとめますと、odysさんのおっしゃる「理念上の要請から来る無理」という部分は確かに存在しますが、それは同時に井筒監督の浪花節映画の痛快な必然でもあったということです。ただしどちらに転んで見るかは実に微妙な映画で、今時こんなあぶない映画を作る監督は他に見当たらないし、まあ、そういう意味でも大変おもしろい映画ではあると思います。(笑) -
taruさん
2007/06/03 by
odys
taruさん
映画論でのご主張、興味深く拝読しました。
本題に入る前に、山口百恵の件で少しだけ補足しておきたいと思います。
「在日」という言葉の意味は人によっても色々で、狭い意味ですと半島出身もしくはその子孫で日本国籍を取得していない人という意味ですが、広義では国籍に関係なく近い先祖に朝鮮系の人間がいる人、という意味で用いられます。事実、植田剛彦『在日韓国人の底力』では「父母もしくは祖父母が韓半島出身者」(116ページ)という意味で用いているようです。したがって百恵さんの父親の籍だけを根拠に否定することは無理があるでしょう。無論、現在のところ噂には根も葉もない可能性もそれなりにあるということを認めた上でのことです。
さて、本題です。
私は石原慎太郎の映画は見ていないのですが、一応特攻隊を正当化する論理で作られているとしましょう。taruさんの主張によれば、井筒作品も石原作品もどちらも理念の映画で、登場人物はその理念を背負って造形されており、しかもお互いの理念が正反対だということですね。
しかし井筒監督のこの映画と石原慎太郎の映画には大きな違いがあります。つまり、特攻隊は歴史的事実であるが、『パッチギ!2』のキョンジャの生き方は歴史的事実とは言えない、ということです。
特攻隊に志願した人にも色々いただろうと思います。しかし、本気で祖国を救うためにと信じていた人がその中にいなかったとは考えられません。戦争になった以上勝たねばならない、或いは敗色が濃くなっても本土は防衛しなければならないと考えるのは当然のことだと私は思います。それが戦後の、平和が何十年と続いた人間の考え方とは異なっていようと、戦時中の倫理とはそういうものなのであり、平和な時代の論理で簡単にそれを否定するのは、歴史の見方を知らない人間のやることです。例えば元寇のときに北九州で元や高麗の戦士と闘った日本人はそういうことを考えてはいなかったでしょうか。自分は死んでも日本が防衛できれば本望だと思ってはいなかったでしょうか。井筒監督風に考えれば、生きるのが大事だから元が攻めてこようと俺は関係ない、という結論になるでしょうが、そんな風に考える武士は当時ほとんどいなかったはずです。歴史とはそういうものであって、現代の倫理で万事を切りとるのは野蛮な人間のやることでしょう。
或いは朝鮮ということで言うなら、伊藤博文を暗殺した安重根だってそうでしょう。日本政府要人を暗殺したら死刑を免れないことは確実で、「何があっても生きろ」という論理からすれば飛んでもない行為をやったことになるわけですが、安からすれば自分の命より日本政府要人を暗殺することの方が大事だったのです。
キョンジャの生き方にはそういう意味での時代の倫理性や必然性が感じられません。在日であることを隠して芸能人として生きるのはいい。しかし、芸能界の中で生きて行くには(在日でなくとも)自分の節を曲げなくてはならないこともあるし、芸能界ならではの危険性から身を守らねばならないこともある。ところが彼女は一方では不思議なくらい不用心ですし(西島秀俊との関係)、その次では不思議なくらい芸能界ズレしていますし(プロデューサーの部屋に自ら行って・・・という場面)、逆に告白シーンに連なるあたりでは変に自己主張的なのです。つまり、フィクションだからダメなのではなく、フィクションとして良くできておらずいかにも不自然である、と私は言っているわけです。芸能界に入るとなれば、あの程度の(自分の意に染まない映画に出るという程度の)理不尽さは我慢するのが当たり前、というか、普通これから売り出そうとする女優なら何より主演を演じられることで満足しきってしまうでしょうし、しかも甥が難病で、もしかしたら世界的名医にかかれば治るかも知れないという状況にあるとき、何をおいてもお金を稼ぐことを考えるのが当たり前でしょう。それを彼女は自分でぶちこわしている。井筒監督の理念がそういう不自然な作りを強いたのであり、結果として彼女の造形には失敗していると言うしかありません。
無論、この映画にはエンタメとして成功している部分もそれなりにあります。だから私は★3つの評価としました。けれども、在日を描いた映画として特に優れた出来とは思えません。在日を描く場合、単に犠牲者とか被差別者という、ある意味綺麗事の描写だけで終わってはダメだろうと思いますね。私が在日を描いた映画で評価するのは北野武主演の『血と骨』で、芸術とはああいうものだと思います。もっともtaruさんはあの映画をあまり評価されていないようですね。taruさんと私とでは映画観に根本的な差があるということでしょう。
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