ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション
『ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション』を価格比較。★★★☆(72点)『ノーカントリー』に対するみんなのクチコミ情報などもあります。
| 監督 | ジョエル・コーエン;イーサン・コーエン |
|---|---|
| 出演 | トミー・リー・ジョーンズ,ハビエル・バルデム,ジョシュ・ブローリン,ウディ・ハレルソン,ケリー・マクドナルド |
| 発売日 | 2008年8月8日 |
| 定価 | 4,179円(税込) |
価格比較
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商品詳細情報
| 販売元 | パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン |
|---|---|
| 発売日 | 2008年8月8日 |
| リージョン | 2 |
| ディスク枚数 | 1 |
| 形式 | DVD |
映画生活ユーザーによる「ノーカントリー」のレビュー
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クロマニヨン人か、ネアンデルタール人か!2008-05-01 by
牧坂満
遂に「羊たちの沈黙」のDr.ハンニバル・レクターの存在を脅かすシリアルキラーが登場しました。アカデミー助演男優賞を受賞したハビエル・バルディムの強烈なキャラは登場するだけで観客も“蛇に睨まれた蛙”のフリーズドライ状態になってしまいます。現代人のクロマニヨン人からネアンデルタール人に退化したような人相風体に釘付け状態になったのは私だけではないでしょう。
映画は主人公不在のスーパーヴァイオレンスムービーであり、テキサス州保安官役のトミー・リー・ジョーンズさえもが狂言回しの役割で、物語の起承転結自体が曖昧模糊とした構成にされているので、日常茶飯事の暴力のリアリティが強調されています。高圧ボンベからホースを介したノズルを使用して、ピッキングなどの小細工を嘲笑うように室内に侵入したり、無辜の民を平気で殺傷していく恐怖は映画史上屈指のシリアルキラーであり、冒頭からエンディングまでスリル溢れる暴力映画となっています。かつてのアメリカ製正統派西部劇ではショットガンを使用する輩は卑怯者の象徴であり、ヒーローは常にコルトピースメーカーのハンドガンで正々堂々と対決していました。しかし、ハビエル・バルデム扮する殺し屋は相手が丸腰だろうが、無垢の民だろうが躊躇することなく、サイレンサー付きショットガンで殺害します。
殺害した被害者からの流血による返り血を回避するシーンは伏線となって構成されていますのでお見逃しのないように御注意下さい。正規のストリーテリングの中とは別箇に生じる暴力描写の中に救い難い暴力の連鎖による厭世感すら感じてしまいます。更に、特筆すべきは迷宮入りが予想される程に捜査活動が難航する上に、作品のヒーロー不在のストーリー展開に現代アメリカの病理を痛感させられます。
【新宿オデヲン座】劇場鑑賞 -
さすらいのビリー・ザ・キッド。2008-10-08 by
獅子王
ショッキングな映画ではあるが、淡々と進むストーリー。
退屈な雰囲気がプンプンするが、見出すと止まらない…「カッパえびせん」のような映画。
トミーリー・ジョーンズの演技も妙に心地いい。
無口で無骨だが義理、人情に厚い西部劇にでも出てきそうなカウボーイ男。
「この街は俺が守る」といった古き良き時代のアメリカ的保安官。
「エアーボンベ片手にやってきたトッチャン坊や」は無反応で無表情な殺人鬼。
カウボーイ男を追うトッチャン坊やを追うオールド保安官の物語。
最初の殺害シーンは手の感触を楽しんでるような表情が怖い。
2番目の殺害シーンは、初めて手にした玩具を試す子供の様な表情が怖い。
そして、その後は、ひたすら無表情、無反応で殺していく…
無差別に殺す残忍な男だが、コインで賭けをして負ければ素直に引き下がる…
あと、少年に上着を貰い、律儀にお金を渡すアタリも…「コイツにはコイツなりの倫理観があるのかな?」成長する過程で、何かが欠落したのかなと思わせるシーン。
そして、カウボーイ男の妻に会いに行く理由は支離滅裂だが、「コインで賭けて勝てば助けてあげようか」というアタリ、複雑な感情が見える…が、妻に「あなたの言ってる事おかしい」と指摘されれば、また無表情…まるで子供のようだ。
オールド保安官が感じたコノ得体の知れない恐怖感。
ここまで大袈裟ではないが、新聞やテレビで最近よく見かけるなぁ…
ゲーム感覚で人生リセットしたいって思ってる人はミナイデネ… -
これは我々の映画であり、物語である 観ない理由... 2008-03-22 by
ありあり
全く意味をなしていない邦題はさておき、物凄い映画である。日曜の晩に六本木ヒルズで見たが、あまりの衝撃に観た後一週間は仕事が若干上の空となってしまう事があった。反省。
音楽は極力抑えられ、話が進んでいくに従い、息をするのも苦しいくらい緊張感が増していく。話の筋としてはまぁそれほど目新しいものはない。極論だけれどこの映画の場合、話のプロットにそれほど拘泥する必要はないと思う。
男Aが麻薬取引がらみの金を見つけ、盗む。保安官が捜査に着手する。組織から雇われた追跡者が金を探し始める。ほら、話の筋としては『桃尻女と鮫肌男』とそんなに変わりない(笑)
我々が目を向けなければならないのは、この映画がどうしてこのような緊張感あふれる形で視聴者に差し出されているのか、あるいは差し出されなければならなかったのかという事だと思う。
ここからは意味・動機の不在、善悪の観念の喪失に的を絞って論を進めたい。
保安官は秩序回復の大義名分があり、逃亡者は金銭への欲求こそが彼を動機付けており、ウディ・ハレルソン演じる追跡者Bも金銭報酬が動機で逃亡者を追跡する。
一方追跡者アントン・シガーの動機に「これ」というものが見つからない。これが、この映画におけるアンバランスさであり、鑑賞者に強烈な感覚を残すのだと思う。そして「動機の不在、意味の不在」が大いなる不安となって保安官(≒鑑賞者)自身の考えを侵食していく過程をソリッドに映し出すことこそがこの映画の重要な役割であろうと私は考える。
確かにアントン・シガーは追跡者Aとして金を取り返す使命を追ってはいるのだがそれにしては簡単に依頼主を殺してしまった後も、淡々と金を追い続けるし、ラストでは「約束」に従い逃亡者の妻に「会い」に行く。
これは奇妙である。そこに逃亡者との約束を守る、という理由以外の合理性を認めることはできない。金を取り返したにも関わらずなぜリスクに身をさらすのか?他の例でいえば、どうしてシガーはコイン投げという蓋然性が支配する行為に通りすがりの人間の命を半ば強引にベットさせるのか?
答えはない。ただその息を呑むほどの圧倒的な規則性を前にに我々は、この人間がおそらく今までもずっとそうしていただろうし、そしてこれからも変わらずそのように生きていくのだろうということを予想させられるだけである。
そこに意味はなく、規則性だけが鎮座しているだけである。
さて、保安官が半ば茫然自失のうちに退職してしまったように、アントン・シガーの行動規範に代表される『意味の不在』は我々の(僕の)自意識にも侵食してくる。
我々現代人の生活、そこにもやはり意味はなく、規則性だけが鎮座しているだけだからである。近現代に突入してからは、我々は自分の人生を自分で選び取らなければならなくなった。保安官が自分の職業を父に習って選んだように。そこには常に自意識による意味付け、動機付けが行われる。そしてその後は規則正しく、日常に埋没していく。多くの場合、自分が選び取った生活を正当化するための出来損ないのフィクションを後生大事に抱えながら。
このようなプログラムの下では、既存のフィクションにとって意味不明のものが現れた時には(本作でのアントン・シガーの出現にあたる)「異物」として処理するようアルゴリズムが組まれているものと思われる。
しかし、私は主張したい。アントン・シガーは異物ではない。彼の行動規範そして、それに伴う意味性の欠如などは我々現代人の偶像である。我々はみなある程度アントン・シガーであり、アントン・シガーは程度問題我々なのだ。
僕はこの映画をみてから自分が感じはじめている恐怖に慄然としている。願わくば保安官がみた二つの夢の一つ・・「俺がいくところには父が火を持って待っている」がポジティヴな夢であることを祈るだけである。意味性の喪失とか言ったって我々は明日も明後日も生きていかなければならないのだから。そこに救いを求めるのもやはり同じ人間であり、そこに一抹の希望を見るのは楽観的すぎるだろうか?
"恐怖だ…、恐怖だ…"
『闇の奥』ジョゼフ・コンラッドより
どうでもいいが、アントン・シガーを見て『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターを想起した人はかなり多いはずである。と思っていたら案の定キャッチコピーにも使われていた。
おそらく90年代初頭のホプキンス演じるレクター博士の登場も、アントン・シガーと同じくらい強烈だったのだろう。そして同時に僕は『羊〜』後のハンニバルシリーズがそのクオリティの低さ故に世間の失笑を買った事を思い出す。願わくばハリウッドにはアントン・シガーシリーズで映画を作成する愚だけは避けてほしい。それはNo country for old men の『意味性』を破壊してしまうだろう。ハリウッドの良心に期待したいが・・・どうだろうか・・
まぁ大丈夫か、コーエン兄弟の作品だし。
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「静」の怖ろしさ2008-08-15 by
星空のマリオネット
コーエン兄弟の底力を感じさせる映画です。
「金や麻薬を巡る旧来の犯罪者たち」VS「動機なき悪魔=シガー」。
それは、非日常の暴力と、日常に潜む避けようのない恐怖との関係に似ている。
冒頭、砂漠のなか遥か遠方、望遠レンズで捉えられたのは麻薬取引を巡る凄惨な現場。
ジョシュ・ブローリン演じるベトナム帰還兵モスの視線を通じて描くこの場面。旧来の犯罪を描く映像が先ず凄い。「静」の怖ろしさ。
一方、バルデス・バルデム演じるシガーの登場場面も強烈。悪魔のような理解不能な存在。コイン・トスで生死を決める化け物。「静かに」凍りつく人々。
トミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官はよき家庭人。父親以来の価値を守りたいと「静かに」願う男であるが、世の中の変容の前に沈黙するしかない。当事者にさえなりえない。
シガーは不意に現れ人を殺す。逃走するモス。
サスペンスとして、また画として、十分に面白い。
しかし、終盤、われわれ観客の期待はあっさりかわされる。
シガーにとって、プロセスは関係ないのでしょう。
観客にも示されない。
ころがっている死骸が恐怖の存在を語る。
不穏な国境、犯罪地帯とはかけ離れた場所、閑静な住宅地でドラッグストアーで・・・即ち日常的な世界において、何事もなかったように行われる凶行。奪われる命。
人の善意さえ飲み込み、悪魔は我々の中で生き続ける。
「静」の怖ろしさが際立つ映画です。
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純粋悪としてのシガー2008-05-23 by
のびた
恐ろしいキャラクターが現われたものだ。
このシガーという男。その生い立ちなどは一切語られず、だだ、そこにある存在としての“純粋悪”。
まるで死神のようにふいに現われては、コイントスでその人間の生死を決める。
シガーの前には、人の生死など、問題ではないようだ。彼は、目的のためなら、その道に立ちふさがるもの、そのすべてを消しさる。
彼独特のルールによって…。
これが本当の死神ならば、我々も諦めがつくかもしれない。しかし、奴は怪我をして血も流すし、その苦しみも感じてはいるようだ。
その人間、いや、動物としての機能は人と変わりないところが、かえって恐ろしい。
間違いなく奴は人間だ。しかし、人間らしい心は持ち合わせていない。憐れみも哀しみも感じさせない、この感情を持ち合わせていない殺戮マシーンは、アメリカという名の戦場を渡り歩く、破壊兵器のようだ。
原作者やコーエン兄弟が、どういう意図でこの男をのさばらせているのか、その真意は図りかねるが、現実の世界にも、こんな心を持たない人間が引き起こすような犯罪事件があるのも確かだ。
この映画には、シガーを倒す、“正義”と呼ばれるものは出てこない。アメリカには、本当の正義は存在しないのかも知れない。アメリカがその正義の拳を振り上げるとき、そこには累々と死体のヤマが築かれる。
保安官も出ては来るが、いつでも後手に回り、なす術もない。この保安官の独白が、また意味深だ。
そしてシガーに追われる、モス。
どうして、水をあげに現場にもどったのだろう。
あれは善意なのか、後ろめたさの裏返しなのか。
あそこへもう一度いかなければ、この難を逃れていたのかもしれない。
それなのに、モスをあそこへ行かせたことに、何か意味が見いだせないかと、考え悩む、今日このごろだ。 -
あのさー2008-03-31 by
浪花のロッキー
まあいろいろ言い方もあるんだろうけど、
これは間違いなく傑作だよね。時系列とか
方法論とか、それはそれであるんだろうけど、
そういう議論を招く時点で既に傑作なんだよ。
万能感マンマンのオカッパ暗殺者でさえ
神様モードのあんなぎゃふんオチに
付き合わされるって展開が作品賞なんだよね。
ひっくり返して言うとあんな行ったり来たりが
何もかも支配してる時点でこの映画はもう
凡百のオスカー狙いと神様レベルで
ずれちゃってるのだ。そういう次元を超えてる。
医学的な意味じゃなく、美学的な見地でな。
ここから「クラッシュ」見直したら青臭くて
蛋白質臭くて鼻を摘まむしかないのが
見え見えでさう?あんなの学生映画だよ。
あーいったはったり上等わきわき自己充足が
「文句出なかったからこれで作品賞」って
自体おかしいんだよ、実際は。DVD配るなよ。
選者がアルトマンの真髄を真面目に見てないから
免疫ないだけ。つーかアルトマン真面目に見てたら
オスカーなんてお遊戯の発表会としか見えなくなるよな。
そいで普通常識で考えてロード・オブ・ザ・リング
なんかが功労賞的に候補に挙がってる時点で、
しかも実際に賞取っちゃう時点でオスカーは
気が狂ってるっての。品評会ですらなくって
売り上げ発表会なのな。田舎臭えっての。
その意味では今回は本当マシなのね。
辛酸舐めさせられてたコーエン兄弟だし。
でもあんたらはおそらくこの映画を見ても
その凄み以前のデリカシーとかやるせなさを
読み取れず、なんであんな暴力描写満載の
ささくれだった作品が作品賞なのかとか
本質じゃない部分で疑問満々なんだろーなー
情けないなーとかゴチャゴチャ言うのよな。
そいでその辺にちゃんと答が出る頃には、
あんたら疑問をキープ以前に、もう息を
してないように思うのよな。っていうか
忘れてっべ、そのへんの疑問はよ。
それはそれでいいけどもう少し
受身を取って人生味わおうぜ。
世の中、どーでもいい意味より
大事なことの方が多いんじゃないだらうかってな。 -
この惑星の住人は・・・可笑しい。2008-03-24 by
えんぞ
あの男シガー 怖すぎ
なんなんだ あの髪型は
マメ食べながら話するな!
靴底の汚れ気にするな!
怖いわ ほんとに
風の詩にボンベの音
荒野を彷徨う老犬
ブラウン管に映りこむ光と影
この緊張感と映画的興奮は鳥肌もん
不条理な社会と弄ばれる運命
絶望的な孤独感描いて秀逸
この映画もカウボーイの終焉描いてるかもしれない。
「ここに10円玉あるけど・・裏か表か?」
「ちょっと バカなこと言ってないで 早くお風呂入ってよ。」
「うぐっ ぜったい裏だな。」
やっぱりいちばん怖いのは・・・
八代亜紀 聴いて 泣こ。
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暗くて重いノンストップ・アクション2008-03-22 by
vivie
アカデミー作品賞を受賞したコーエン兄弟の映画。どちらか一方だけだとさほどでもないですが、この二つのカプリングに、一体どんな映画なのかとワクワク。前情報入れないで鑑賞しましたが、冒頭から唖然としたまま、ハラハラドキドキの2時間でした。
瀕死のメキシコ人の懇願を脳裡から振り払えなかったばかりにドツボにハマるベトナム帰還兵、モス。買い物する時の世間話さえ受け付けない殺人マシーン、アントン・シガー。いってみれば、モスは「話せば分かる男」で、シガーは「コミュニケーション不全男」。この対照的なふたりの追跡劇がノンストップ・アクション(!?)として描かれ、もう息つくヒマもありません。あまりの怖さに笑うのも忘れていましたが(笑)、時々、ブラックユーモアも挟まれます。
何ともユニークな作品でしたが、もうひとりの登場人物である老保安官の嘆き節が効果的で、今現在、誰もが感じているはずの「何か変な感じ」が如実に(増幅されて)実感されます。そのあたりで嫌悪感や不快感を覚える人がいるのも頷けるのですが、私はそれも込みで評価したいと思います(未来のいつか、社会学の教材にされるかも)。
アクセントの置き場所を間違えれば、既存のジャンルに落ち着きかねないところを、あえて際どいところで勝負を挑んだ意欲作。とにかく、とても面白かったです。
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獲っちゃいましたか…。2008-02-28 by
mori2fm
いやあ、獲っちゃいましたか“第80回アカデミー賞最優秀作品賞重い、暗い、救いが無い…。アメリカは確実に病んでますな〜。
吾輩は、この映画の監督であるコーエン兄弟(ジョエル&イーサン)の作品、そんなに好きではありません。しかも『はあ?何じゃそりゃあ〜?ええ?それって結局どういうことやねん??』と言うのが、この映画を観終った後の第一声でしたので、“オスカー最有力!”って声を聞いても、『はあ?何でコレが…』てのが、正直な感想でございました。とにかく映画全体が観ていて重い!救いが無いくらいに重い!観終った後に『良かった』とか『凄い』って言う風に思えない(むしろ圧倒的に“不快感”が残ってました)し、ストーリーもラスト結局のところは何でああなるのか?あのシーンにはどういう意味があるのか?ってのが残ったまま(少なくとも吾輩はそう感じました)終わってしまうので、非常に消化不良でございました。然るにこの映画がオスカーを獲ってしまうだなんて…、『アカデミー賞は、映画界の良心』だと思っている吾輩にとっては、死体や殺人シーンがゴロゴロ出てくるこの映画が、オスカーを獲ってしまうなんぞ、理解し難いことでございました。
ただ、この映画がオスカーを受賞したということは『アメリカは、相当病んでいる』ということの証明に他ならないと思います。映画の冒頭、トミー・リー・ジョーンズ演じる古き良き時代を知るベル保安官のモノローグで『今の時代の犯罪は理解できない…』と語られるのですが、この映画の時代背景は1980年代なのです。この時代でさえ“病んでいた”アメリカは、それから20年近くが経過した現在、間違いなくそれ以上、深刻に“病んで”しまっています。この映画を通して、コーエン兄弟はそう言ったことを訴えたかったのだろうと思いますし、それをアメリカという国が受け入れた。その結果が、今回のオスカー受賞に繋がったんじゃないでしょうか?
ところで、“助演男優賞”を受賞したハビエル・バルデムですが、いやあ恐かったですね〜おかっぱ頭の殺し屋!想像してみて下さいバナナマンの日村が、酸素ボンベ持って無言で人を殺していく姿を…。ね?強烈なインパクトでしょ?今晩、夢に出てきそうだ…(^^;。
あ!間違っても初めてのデートに、この映画は選ばないで下さいね! -
究極のコイントス2008-08-18 by
北溟 僚
「ダークナイト」のデント検事もそうだが、コイントスをする場合は、実は本人が表か裏かの出て欲しい面を願いながらトスをする場合が結構多いと思う。
しかるに、この映画のアントン・シガーは全然違う。本人にとっては表が出ようが裏が出ようが全くかまわない。どちらの面が出て欲しいかなんて全く考えていない。
ただし、その結果は彼にとって絶対である。それが彼のルールである。
ゴルゴ13も自分だけのルールを堅持しているが、それは自分が生き延びていくためのルールである。シガーのそれとはちょっと違う。自分が生き抜くためのルールという訳ではなく、単に自分が勝手に決めた自分だけのルールである。
何のためにそのルールをつくったのかは分からない。分からないがそのルールを頑なに実行するその姿に私たちは恐れを感じる。
なぜならそのルールを守る理論的な理由がないので、それを変更させる手立てが全く見つからないからである。
こんな奴には関わらないのが一等である。
しかし、最近の世の中はこんな奴ばかりである。
だから理論が通じる世界が普通だと生きてきた老警官は引退するしかないのである。
恐ろしい世の中になったものである。








