大いなる幻影
『大いなる幻影』を価格比較。★★★★(77点)『大いなる幻影』に対するみんなのクチコミ情報などもあります。
| 監督 | ジャン・ルノワール |
|---|---|
| 出演 | ジャン・ギャバン,ピエール・フレネー,エリッヒ・フォン・シュトロハイム |
| 発売日 | 2002年9月26日 |
| 定価 | 3,990円(税込) |
価格比較
|
在庫切れ | |
|
|
3,591円 (税込) 送料別 |
楽天市場で買う |
こちらの商品をお持ちですか?
|
|
まとめて売る |
商品詳細情報
| 販売元 | パイオニアLDC |
|---|---|
| 発売日 | 2002年9月26日 |
| リージョン | 2 |
| ディスク枚数 | 1 |
| 形式 | DVD |
関連商品
映画生活ユーザーによる「大いなる幻影」のレビュー
-
「ロッテの眼は青い」2007-08-31 by
月踊り
映画史上に残る名セリフだと思う。
ルノワールは『ゲームの規則』とこの作品で、時代とともに移り行く国家(民族)・戦争・個人の三つ巴を描いた。
舞台となった第一次世界大戦、残り火となりつつも美しさを湛えていた欧州貴族の騎士道精神を持つ者たちの儚い友情。
これからの国家、これからの戦争では人間的な情緒が排除されてゆく。自分たちはその廃棄物になるであろうことを悟るドイツ、フランスの貴族階級の二人、これをエーリッヒ・フォン・シュトロハイムとピエール・フレネーが役柄通りに気高く演じている。また、二人に射す影の美しさをルノワールは見事に映し出している。この陰影は日本人に特に好まれている。欧米では『ゲームの規則』の方が高く評価されているが、この陰影をどう捉えるかで分かれているのではないか。
そして来る次の大戦の主人公になるであろうマレシャルとローゼンタールである。彼らはヴォワルデュの確信的犠牲によってドイツ軍収容所からの脱出に成功する。
途中匿われた農家でジャン・ギャバン扮するマレシャルはその家の未亡人と懇ろな仲になるが、この状況下ではその関係もどうにもならない事は分かっている。マレシャルはこの家の娘を抱きかかえ、片言のドイツ語で“ロッテの眼は青い(BRAU AUGEN)”と言う。息がとまるような美しい場面である。
スイス国境まで逃げ遂せた二人。マレシャルは言う「俺はまたここへ戻ってくる。戦争なんていつまでも続きゃあしないさ」、ローゼンタールが答える「(そんなのはお前の)幻想だ」
この台詞をユダヤ人のローゼンタールに言わせたところにルノワールとシャルル・スパーク(共同脚本)の凄味を感じましたね。
話は変わるが、世紀の愚作『シンドラーのリスト』をコキ降ろした痛快なレヴューに対して、“映画は娯楽である”などと利いた風な言葉を投げつけた輩がいた。
この『大いなる幻影』は、世界中で検閲の対象になり、当初日本でも大幅にカットされて上映された。
平和に対する作者の大いなる信念は、時の権力者をも怖れさせるに足りる物であったのである。
映画とはそういうものだ、甘く考えるな。 -
大き過ぎた幻影2007-09-07 by
アキラ
「国境なんて人間が作ったものだ、自然にとっては何の意味もない」確かにその通りだとしか云えない。否定のしようがないテーマ。ただ、それが作品として力を持っているかは別問題。私は後のヌーベルバーグ世代の評価を信じない。同世代じゃルノワールなんかよりも当時から大衆娯楽として浸透したクレマンやカルネやデュヴィヴィエの方がよっぽど力のある映画を撮っている。ルノワール映画に力がないとは云わないが。晩年は特に明確な絵的な美意識が出ているし、一貫した映像センスは初期の『女優ナナ』から変わらない。ただ、幼少時代に絵画で神童扱いされていたせいか美術史に対してもそれなりの造詣がある私の目はごまかせません。物事にはレベルって物があります。腕が良い画家ほど更に腕が良い画家を見抜ける。素人には同じに見える絵画にも職人から見れば天と地ほどの差がある。ルノワール映画の空間意識は大したものだが既にそれを超える空間意識を見せつける映像作家が現代にはいる。ティエンチュアンチュアンやペドロコスタを見てしまうと、アート系のフランス映画史が霞んで見える。彼らに常に意識されるセザンヌ的な拘りなど国外でいとも容易くやってしまう作家がゴロゴロいる。最近のフランスで注目されたマリーラリユーなんてその足元にも及ばない。セザンヌのモチーフが日常の風景にある国に住む慢心って奴だろうか。今となっては美術的価値をルノワールの栄光を追うフランス人作家たちには期待していない。むしろ作品ごとに最良の方法を模索し見事に見出し続けた大衆作家たちからこそ学ぶ事は多いのではないだろうか。
確かにこの作品に描かれる3つのエピソードはどれも当時のルノワール作品の中では娯楽度が高く引き込まれはする。だが、テーマとなる部分に導かれるってよりも安易に台詞で聞かされた感じで印象には残りません。実感のこもった言葉に導こうとはしているのに違和感がある。カットされた部分があるにしては話としてちゃんと完結している。平たく云うと話がテーマに対して小さ過ぎる。小さい話でも大きなテーマに突き抜ける傑作は多々あるが、そこまでのエネルギーは感じない。ジャンギャバンの名台詞は大き過ぎた幻影って所だろうか。歴史上、正しいスタンスの作家は批判し辛いが現場の実感で云わせてもらうならば作家とは方向性よりも語り口の力こそが露骨にものをいう職業。例え寸分の理であっても悪しきプロパガンダであってもより強く受け手に訴える作家こそが歴史に残るべきだと私は考える。反面教師な所も含め指針のひとつとしてはルノワールは押さえておくべき作家ではあるが、作品としてはお勧めしない。
方向性だけでは傑作は生まれない。映画という他力本願な面があるメディアでも創作とはそこまで浅く甘いものではない。圧倒的な力量差に叩き潰された事のない傍観者は誤った幻想を抱く。そんな中年のガキに一言。映画をナメるな。











