夕凪の街 桜の国
『夕凪の街 桜の国』を価格比較。★★★★☆(86点)『夕凪の街 桜の国』に対するみんなのクチコミ情報などもあります。
| 監督 | 佐々部清 |
|---|---|
| 出演 | 田中麗奈,藤村志保,伊崎充則,麻生久美子,堺正章 |
| 発売日 | 2008年3月28日 |
| 定価 | 4,935円(税込) |
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amazon.co.jpによる解説
広島に原爆が投下されてから13年後、原爆で父と妹を失った皆美は母とふたり暮らし。被爆者の彼女は恋愛も結婚もあきらめていたが、会社の同僚である打越から告白をされる。とまどう彼女を打越はやさしく包み込むが…。それから半世紀後、親戚へ養子に出されていた皆美の弟の旭は中年になっていた。彼は家族に黙って広島へと旅立つ。父親の謎の行動を心配した 娘の七波は、父のあとをこっそりつけていく。そして広島で彼女はいままで語られなかった自分の家族のことを知ることになる。
こうの史代の同名名作漫画を『半落ち』の佐々部清監督が映画化。原作漫画の世界を大切に慈しみながら描きつつも、『桜の国』の七波のエピソードに回想シーンを折り込むなど独自の演出法で、原爆がひとつの家庭に起こした悲劇を綴っていく。前半の皆美の悲しい運命には胸がつめつけられ涙が止まらないほどだが(麻生久美子好演)、その感動を受けて展開していく後半の七波の物語は、演じる田中麗奈のサッパリとした個性が際立つ。何も知らなかった彼女が父と母の出会いを知り、封印していた母親の死の真実を知る。七波の心の旅が、そのまま観客の『夕凪の街 桜の国』の旅となり、感動がじんわりと心にしみこんでいく。戦争、原爆、核というと堅いが、それを自然に考えさせられる、こんな悲劇を繰り返してはいけないと切実に思わせる傑作だ。 (斎藤香)
商品詳細情報
| 販売元 | 東北新社 |
|---|---|
| 発売日 | 2008年3月28日 |
| リージョン | 2 |
| ディスク枚数 | 2 |
| 形式 | DVD |
映画生活ユーザーによる「夕凪の街 桜の国」のレビュー
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戦争が終わっても…2008-01-04 by
taiyaki
『夕凪の街 桜の国』は,原爆を投下された広島の町の過去と現在を背景に,親子愛,兄弟愛,男女の恋愛を悲しくも美しく描き出した映画です。
『夕凪の街』と『桜の国』というふたつのお話を通して,皆実(麻生久美子)と七波(田中麗奈)という二人の女性が,50年という歳月を超えて様々な愛を語り合っているように感じました。決して,ヒロシマは過去の話ではないのですね。
二人をつなぐ髪留め。七波の母親の京花(栗田麗)が皆実のおとうと旭(伊崎充則)から皆実の髪留めを受け取るシーンでは思わず泣けてきました。髪留めが皆実の思いを現在へとつなぐバトンのような役割をしていました。
良い映画では小物が登場人物の心情を表す手段として象徴的に使われていることが多いですが,この映画ではこの髪留めが効果的に使われていました。
『夕凪の街 桜の国』は,戦争そのものの残酷さだけでなく,その後に続くたくさんの苦しみや悲しみを私たちに静かに教えてくれる作品です。
多くの方に観てもらいたい。そして,あのような悲劇を二度と繰り返さないためにも,日本人が本気になって平和について考えるきっかけになってくれれば良いと思います。
この映画は,こうの史代さんの原作をほぼ忠実に映画化しています。心に残る言葉の数々も原作の中にあります。これだけの内容をわずか100ページ足らずの漫画の中に込めるとはすごいことだと思いました。ぜひ原作も読んでみてください。 -
知らなかった原爆の事実2007-09-02 by
りんぼ
反戦映画というのはよく見せられた気がするが、映画の出来以上にテーマが重要視されることもよくある。そういう作品は教訓を得ても、心情の理解には至らないことがある。同様に原爆を反対することを頭では理解することと、自分自身が共感するのでは差があって、実際、自分は被爆者の心情を深くは理解していなかった。事実、私はこの映画はちょっと敬遠しているところがあった。どうせ反戦ものとして評価が高いのだろう、くらいに考えていた。
しかし、この映画を見てちょっと自分の見方が変化したように思える。簡単に言うと実感ということになる。それほどにこの映画は我々に近い視線で原爆のことを語っているのだ。登場人物のあまりに深い悲しみや苦しみを見ると、平和を願う気持ちがどういうものなのかを教えられるのではなく、それを自分のことのように実感するのだ。それが私には衝撃だった。
原爆の恐ろしさというのは歴史の教科書で何度も見ているし、体験談も何度も聞いたことがある。それでも、どこか自分とは違う世界の話のような気がしていたのは事実だ。しかし、主人公皆実のエピソードは真に迫る辛さがある。原爆の恐ろしさが爆発の後も放射能汚染という形で被爆者を苦しめていく。そのことが人生においても大きな枷である点も痛ましい。身体的にもそうだが、自分が生きていていいのか? と思うほどの深い心の傷は簡単に癒せない。それは自分一人では不可能なのではないだろうか? その心の穴が埋められるのは言葉にすると陳腐なのだが、やはり「愛」をおいて他に無いと思える。告白のシーンに感動するのは単に恋愛の問題だけではなく、自分の存在を肯定出来たからでもある。
もう一人の主人公七波は実に良かった。口調や性格が正に今の我々で同じ立場に立つことが出来る。
彼女が話を牽引することはこの映画に大きな意味がある。彼女の役どころは時代の継承ということになる。彼女は無意識のうちに受け継いだものを知ることになり、それが自分たちにとってどれほどの意味があるのかを理解することとなる。彼女の立場とはつまり我々と同じなのだ。そこに彼女が主役である意味がある。
彼女は決して教え込まれることで事実を知るわけではない。寧ろ祖母も母もそのことを積極的に教えたりはしない。実際にも原爆の体験は語るのも辛いことばかりだろう。
しかし、この出来事は極めて我々と密接なところに関係している。我々はそのことにただ気付かないだけなのだ。過去の出来事を風化させないということの意味は、単に忘れないということではなく、何より自分が実感し、その時の人々に共感することにある。そんな風に思えた。 -
生きとってくれて ありがとうな2008-08-15 by
のびた
劇場で観た時は、現代パートが少し弱い気がしていた。しかし、終戦の日に想いも新たに見直したら、現代パートからも堪え切れないほどの感情がひしひしと伝わってきて、涙を溢れさせずにはいられなかった。
「夕凪の街」は原作にほとんど忠実なので、これは映画というより原作が素晴らしいのだと思っていた。そして、見事に皆実を演じ切った麻生久美子の演技が素晴らしいのだと思っていた。そうであることに間違いはないのだが、その演出にも細やかな心使いを発見できて、この映画としての僕の評価もまた高くなった。やはり良い映画は何度でも見直さなければその本当の価値は分かったとは言えないだろう。
例えば、いつも皆実が手を合わせるお祈りをする場所の側に打越がいて、ここで手を打ったら、彼に気づかれてしまう。恥ずかしい。でも、彼に気づいて欲しい。そんな微妙な乙女心の表現は、麻生のさり気ない名演と共に、うまく伝えられている。また、会社で写真をみんなで撮るときの、同僚が何気なく皆実を打越の隣に近づけたりするシーンもいい。この時の麻生の嬉しさ気恥ずかしさを混同させたような、驚いた表情が絶品だ。この写真は絶対また出てくるはずだと思っていたら、狙い通りに登場して、僕はまた、涙を流すことになる。
原作に忠実な部分だが、やはりセリフが衝撃的だ。
「嬉しい?
原爆を落とした人はわたしを見て
やった!またひとり殺せた
とちゃんと思うてくれとる?」
これほど皮肉の利いた、原爆に対する抗議文は初めて目にした。
皆実のキャラクターがまたいじらしい。
被災しても自分だけが生き残ってしまったことに、負い目を感じてしまい、自分は幸せになってはいけないと感じている。近くの草を料理して食べたり、靴が減るからと裸足で歩く彼女。そんな慎ましい彼女にこそ、幸福が訪れてほしいと観客は願う。しかし…。
「生きとってくれてありがとうな」
打越の抑えきれない愛情が一杯こもった、名セリフだった。
自分が選んで打越から貰った、金魚の刺繍の入ったハンカチ。映画では皆実の家でも金魚を飼わせ、働き者ののアリの姿も画面に映す。最近、生命を問う映画にはやけにアリが出てくる。この辺はもう定番だ。小さな生命でも、懸命に生きようとしている。
話は現代へと移る。当初僕は現代パートはいらないのでは、とさえ思っていたが、原爆の影響が孫子の代まで続いているというメッセージのためには、やはり必要だった。この現代パートで描かれた皆実の弟・旭の過去を巡る旅に同行してしまった娘・七波が、自分の両親との出会いに想いを馳せるシーンがいい。生まれる前の自分が、両親のお互いを求める姿に感情移入して、自分はこの親を選んで生まれてきたのだと実感する。
原爆被害にあった母親と、それを承知で結婚した父親。この原爆よりも強い愛情に導かれた二人を、自分の誇れる両親だと、娘が確信できたシーンだ。原爆も戦争も、我々国民には望みもしない、降って湧いた災害みたいなものだが、それもまた、人の手によって起こされたもの。
原爆は落ちたのではない、落とされたのだ、という強いメッセージと共に、それさえも乗り越えようとする人間の心の再生能力、強い愛情を描いたこの映画に、敬意を表する。
そして、そう、子供は親を選べないというのはウソだ。子供は親を選んで生まれてくるのだ。 -
涙が止まらなかった・・・。2008-04-25 by
みるる
原作を読んでいたので話の流れや結末はわかっていました。しかし、涙が止まりませんでした。
今でも皆実の「私は幸せやった。そして忘れんといてな、うちらのこと。」と言うセリフを思い出すだけで目頭が熱くなる。
原作でもこの場面は涙したが、それ以上の涙が出てきた。
全体的にも原爆被害者である皆実の苦しみ、悲しみをうまく描いています。
皆実役の麻生久美子の原爆の苦しみに負けまいとする健気さを感じる演技も素晴らしかった。
母が原爆被害者の七波の視点から描いた「桜の国」では原爆について詳しく知らない年齢の私に‘原爆’という忘れてはいけない真実を深く突きつけ
られ、心にズシっときました。
見た後、‘今生きていることの幸せ’と‘原爆’という忘れてはいけない真実について考えさせられる作品でした。 -
心に迫る秀作2008-03-25 by
バグース
15年前亡くなった母は被爆者でした。そして私も体内被曝しました。おそらく一番若い被爆者の一人でしょう。
今までこう云った映画は観る気がしないので避けていましたが、あまりに評判が良いので探して遅まきながら観てきました。
演技は誇張された面も少々あるが皆好演で母親役の藤村志保が光る。映像・音楽も美しくコミカルな場面もあり、3世代を描いた愛と悲しみのストーリーも良く出来ていて、まるで自分の事の様に思える場面もあり、特に母親が息子の結婚に反対する言葉に切実感がありました。(映画の様なロマンチックな事はありませんでしたが、就職し結婚年齢になった時、自分の嫁さんになる人は広島か長崎の人以外は無理だと真剣に悩んだ時期があった事を思い出します)
子供の幸せを願う心情が良く表現されており、今年一番の感動作でした。
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申し訳ないですが・・・2007-08-11 by
星空のマリオネット
この映画を低く評価するのは少し勇気がいるというか、申し訳ないというか、そういう迷いもあります。
原爆体験を風化させてはいけないという使命を帯びたこの映画。世代を超えてどこまでも追いかけてくる原爆の恐怖と悲しみを切々と、また飄々と訴えかける涙を誘うドラマです。
空席の目立つ金曜夜の映画館。
始まったころはイビキの音が気になったのですが、途中から鼻をすする音があちこちで聞こえるようになり、映画が終ったあと、原作の存在を映画館のもぎり係りの人に尋ねるお客さんの姿まで見ました。それだけ感動させてくれる映画なんだと思います。
しかし、映画そのものの出来は50点にも届かないレベルではないでしょうか。テレビの2時間ドラマ並み、というのは不適切な表現かもしれませんが・・・そんな感じです。
観る前から懸念の方が大きかったのですが、予想以上に安直なつくりの映画で、驚きました。
先日、トップランナーという番組に本作の佐々部清監督が出演していました。映画監督というものに対し固定観念を持ってはいないつもりですが、佐々部監督は、それにしても監督という雰囲気が全くしない、快活で多弁な良い兄貴のような人です。また、短期間で映画が撮れる監督としても有名なんだというようなことを、ご本人が述べられていましたが、本作を観て、さもありなんと思ってしまいました。
映画に対して何を求めるかは人それぞれですが、映画が自分にとって大切なものだけに、物語の筋を手垢のついた表現で辿るだけの通り一遍の演出には、ガッカリさせられてしまいました。
また、本作の場合は漫画が原作であることも悪い方に現れてしまっていると思います。俳優の立ち振る舞いや表情や台詞にいかにも漫画そのものといった場面がいくつもありますが、その表現ぶりが中途半端だし安易にも感じました。
音楽の使い方も昔の通俗的なメロドラマのようで、陳腐と言わざるを得ません。
制作費も大きくはなく、撮影期間も短かったのではないかと想像されますが、原爆という重いテーマを扱っているだけに残念です。
原爆をテーマとした映画には、今村昌平監督の「黒い雨」や、個人的には余り好きではないですが黒木和雄監督の「父と暮せば」等優れた作品があります。
「夕凪の街 桜の国」は、それらの映画と共通するテーマを持っていますが、さらに今でもその深い傷に苦しむ人がいるということを、身近に描いている貴重な作品です。
それだけに、せめてもっと丁寧に描いて欲しかったなあと思います。 -
父の青春2008-06-30 by
ペンギン
予告編と前評判でかなり良い映画だと期待してはいましたが、この監督の「出口のない海」がもう一つだったのでどうだろうかという疑問もありました。
田中麗奈目当てに観ようと思っていましたが、近所の劇場で舞台挨拶があった日、どうしてもはずせない用事が出来て行けなかったのが悔しくてとうとう劇場公開を見逃してしまっていました。
そしてDVDで観たわけですが、つまらないことに拘って観に行かなかったことを後悔。素晴らしい映画でした。
しかも絶対大きなスクリーンで観た方が良い。懐かしい、切ない時代の日本と、桜並木が圧倒的です。
いつも思うけど、紅葉と桜吹雪は大スクリーンで観るべきモチーフですね。
原作の持ち味なのか、お話が実にしっかりしている。
普通なら後半のお話をメインに、前半部分は断片的に回想として挿入してサスペンスと謎解きで見せてゆくというのがこういうドラマのセオリーなんでしょうが、その謎の部分を独立させて一本の映画にし、それを「前半で」先に見せておくという逆転の構造になっています。
これによって重点はミステリーや謎解きに置かれず、ある家族の運命を見せる大河ドラマになり、観客は主人公と共に謎を解いてゆくのではなく、主人公が徐々に真実に近づいてゆくのを見守る立場に置かれます。そして時間軸に沿った主人公の心の変化に感動させられるのです。
祖父母や両親というのは実に奇妙な存在です。
初めて接した時から彼らは「おばあちゃん」であり、「おとうちゃん」「おかあちゃん」であって、その役割の人として「私」の周りに存在します。
どんな人間にも少年少女の時代があり、青年になり悩んだり笑ったり泣いたりして大人になって行くわけですが子供にとって祖母や両親は生まれつき祖母であり両親であるわけで、どうしても一個の人間としてみられないところがあります。
親である前に男であり女であり一人の人間なのですが、理屈では判っていても実感として両親の少年少女時代など想像しにくいわけです。あのおばあちゃんに可憐な少女時代があったことも。
他人なら比較的たやすく想像できるのですが、不思議です。それほど肉親というのは特殊な存在なのです。
今年祖母を亡くし、両親が高齢になっているという個人的な理由も大きいですが、この主人公のように父親の青春を追体験することは何と素敵なことかと、テーマである「被爆者」を越えてその部分にひどく感動しました。
その父親を堺正章が終始無言の演技で見事に演じています。
想い出の木の下で、姉のかつての恋人と再会するシーンなど、実際のドキュメンタリーを観ているようで涙が溢れました。
そして終盤「いつものお父さん」として現実に戻るところも実に見事です。
麻生久美子という女優はどちらかというと苦手で大して興味もなく、私は田中麗奈が目当てだったのですが、本作で思いを改めました。
麻生久美子、実に素晴らしかった。間違いなくこの映画は彼女で成り立っているでしょう。意外と演技派だったんですね。
それと後編の回想シーンから登場する主人公の母親の存在。彼女が過去と現在を繋ぐ大切なキーパーソンです。少女時代も大人になってからも魅力的でした。
そう思ってみればこれは三代にわたる女性映画なのかもしれません。
あの髪飾りは主人公の友達に譲るべきなのでしょうね。
意外と一番テーマに沿っているのがこの友人で、本筋ではなく傍流で恋人のルーツをたどりながら原爆の悲惨さを追体験してゆきます。短いシークエンスですが重要です。こういう見せ方が素敵ですね。
ただひとつ、これはこの作品の核になる部分かもしれませんが、被爆者とそうでないものとの、これは決定的なメンタリティーの違いなのでしょうが、原爆投下をした加害者たちへの呪詛の言葉、「『また一人殺せた』と喜んでるかなあ?」と言う部分には未だ違和感があります。
あのシーンが一番心に残るシーンだっただけに引っかかりました。
「原爆は落ちたんじゃなくて落とされたんよ」というのは全くその通りだと思いますし、どういう理由があろうと核爆弾の使用が許されるはずもないのは当然ですが戦後の我々は「戦略としての原爆投下」という視点を持っているため「殺して喜ぶという事じゃないでしょう」と思ってしまいます。
当時、被爆された人たちはそういう風に思っていたんでしょうかねえ?
あれほどの現実の前ではやはり言葉がありません。 -
運命を引き受ける強さ2007-08-22 by
ミミッチ
こうの文代さんの原作にいたく感動し、
公開されたら絶対見に行こうと思っていた作品でした。
既に多くの読者を得ている原作は、被爆から復興に向かう時代における、広島の人々の暮らしに差す原爆の影を抑制の効いた筆致で描いた「夕凪の街」と、被爆者を父に持つ現代の女性(「夕凪の街」の主人公皆実の姪にあたる)の視点から被爆体験を捉え直す「桜の国」第一部・第二部の、三部構成からなる作品です。
「夕凪の街」「桜の国」とも、重要なセリフはほとんど改変されず、基本的には原作を忠実になぞっている印象を受けました。
(皆実の「落ちたんじゃのうて、落とされたんよ」を除いては)
映画単体としての出来を評価するとなると、数名のレビューアーの方が指摘されているようにいろいろと気になる部分もあるかと思います。
しかし、様々な制約がある中で原作のテイストとメッセージを大きく損なうことなく映像化・一般公開が行われたことの意味は大きいと個人的には思っています。
思春期の数年間を広島で過ごしましたが、自分が原爆について「知っている」と思っていたことの内実について改めて考えさせられました。
60年余の歳月は被爆の記憶を確実に風化させているように思われます。
この映画によって、現代を生きる一人でも多くの人が、原爆を「自分たちにつながっている問題」として認識していただければと思います。
興行的には厳しいものがあると想像しますが、一人でも多くの方々に見ていただくことを期待します。
原作未読の方は、こちらも是非。 -
セリフがね!2007-08-16 by
黄水仙
佐々部監督の映画についての投稿諸氏のご意見には傾聴するところも多々あると思いますし、また、メディアとしての「映画」の影響力を期待しつつ皆に見て欲しいという点での評価も、尊重すべしでしょう。
しかし、私が今回びっくりしたのはそのセリフ。特に皆実のもの。原作を読んでいないので、原作にあるものかも知れず、それを確認しないまま書けば、次のセリフは印象が強い。(脚本は佐々部監督と国井桂。劇中のメモ書きなので不完全なところもあり、セリフの再現になったかどうかは厳密には疑問です。誤載があれば、ご指摘くださいますと助かります。)
「うちらは誰かに死ねばいいと思われてた」
「原爆は落ちたんじゃのうて、落とされたんよ」
「13年もたってちゃんと思うてくれとるかな、一人また殺せたって」
このセリフには、殺されることへの意味付けをせざるを得ない夕凪の街の主人公の悲しい思いがあり、殺されいく恨みがある。言葉にしないと確認できない事実がある。
かたや、銭湯のシーンではケロイドを持つ市井の人々は原爆を「語らなくなった」と。
そして、桜の国では「被爆」を隠す。
高校の卒業式で、最後の祝辞に校長が「私は被爆者です」と言った。そのとき私の気持ちは「え、だから」だった。「しかたないじゃん」と。場所は横浜。「原爆被爆」は私たちにとってはただの歴史のひとつ。しかし、校長にとってそれは、どれだけ重いことであったか。いまさらながら、その思いに胸つぶされる。
桜の国が少し弱かったかな。田中麗奈も少しぎこちなかったように思う。被爆者差別を浮き彫りにしたかった恋愛も、我田引水で世界が小さくなってしまったのは否めない。
しかし、日本という国に居る私たちの観るべき映画のひとつであることには変わらないと思う。
-
原作の漫画と一つ違うところ2007-07-25 by
牛込太郎
この映画は二部構成になっている.
原爆被災者の女性,平野皆実を中心とした第一部「夕凪の街」と,
被災者二世の女性を中心とした第二部「桜の国」だ.
この辺りの構成は,おおむね原作の漫画を踏襲している.
ただ,全体的に見てかなり原作に忠実に作られているこの映画の中で
一ヶ所だけ,決定的に原作と違っているところがある.
しかもその違いは(ほんのささいな違いであるにも関わらず)
原作と映画とをまったく別の作品として成り立たせてしまうほどの
強烈な意味を持っている.
原作では,皆実は第一部のラストで死ぬことになっている.
ところが映画では,第二部のラストにならないと,
その死の場面は描かれない.
第一部のラストでも皆実は確かに死にかけるのだが,
完全に絶命する前にいきなり第二部が始まってしまって,
彼女の死は結局うやむやなままにされてしまう.
言うなれば,彼女は第一部のラストで死に損ねる.
これが非常に重要な点なのだ.
実は彼女は過去にも一度,死に損ねたことがある.
彼女は原爆被災者だ.
13才の時,原爆の被害にあい,その時生命の危機にさらされた.
しかし幸運にも彼女は死をまぬがれ,
26才で死ぬまで生き延びることができた.
一方で彼女の妹は原爆によって命を落としており,
そのことで皆実は死ぬまで罪悪感に苦しめられる.
自分だけが生き残ってしまったことについて,
申し訳ないと感じてしまう.
原爆で「死に損ねた」自分を,彼女は常に責めている.
皆実が死んだのは26才の時であり,
原爆を被災したのが13才の時だから,
彼女はちょうど人生の中間地点で
原爆を被災したことになる.
彼女の人生を,被災するまでの13年と,被災してからの13年に分け,
前者を人生の第一部,後者を人生の第二部とするなら,
彼女は人生の第一部のラストで一度死に掛ける.
しかしそこで死に損なって,結局,第二部のラストまで生き続ける.
それと同じことが,この映画でも起きる.
彼女は映画の第一部のラストで一度死に掛ける.
しかしそこで死に損なって,結局,第二部のラストまで生き続ける.
つまり,彼女は二度死に損ね,生き長らえる.
一度目はその人生において.
二度目はこの映画において.
結論として言うならば,
この映画は彼女の人生そのものなのだ.
彼女の死の場面が映画第二部のラストに移動したことによって,
この映画は彼女の人生そのものになった.
私たち観客は,この映画を見ることによって,
平野皆実と言う一人の原爆被災者の人生を生き直すことになる.
また,そうすることが,
「忘れんといてな,うちらのこと」
と言い残して死んでいく皆実への,私たちなりのこたえともなるのだ.








