アララトの聖母 [DVD]
『アララトの聖母 [DVD]』を価格比較。★★★☆(74点)『アララトの聖母』に対するみんなのクチコミ情報などもあります。
| 監督 | アトム・エゴヤン |
|---|---|
| 出演 | デヴィッド・アルペイ, シャルル・アズナブール |
| 発売日 | 2004年5月21日 |
| 定価 | 4,935円(税込) |
価格比較
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商品詳細情報
| 販売元 | アートポート |
|---|---|
| 発売日 | 2004年5月21日 |
| リージョン | 2 |
| ディスク枚数 | 1 |
| 形式 | DVD |
関連商品
映画生活ユーザーによる「アララトの聖母」のレビュー
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破られたタブロー2007-01-18 by
アキラ
ロシアの脅威ってのは当らずとも遠からず。長い間ドイツとの共同戦線で国境を守ってたトルコ軍にしてみれば東部から旧ソ連領内にまたがるアルメニア人というグレーゾーンは気持ちの良いものじゃない。ただそれは言い訳にはならない。かといえ今更そこであった事を怨みにできるほど確かな記憶が残されてる訳じゃない。サロヤンってエゴヤン自身の名前を捩っただけだろうな。エジプトに生まれ育った彼自身、郷土への執着なんて仕事への執着に比べたらさほど大きく思えない。ルーツを掘り返す事も仕事の一部と割り切ってるのではないだろうか。アルメニア人画家ゴーキーの生涯を通して描かれる大虐殺への憎悪。それを撮ってる人々の物語。この劇中劇だけだと大して面白味はないが、そこから波及する個々のドラマは魅力的。
やっぱり人間の情動に強く働きかけるのは直接的な絆。民族の聖典やら過去の存在証明とまで評価されるタブローも父親を失った娘の個人的情動の前にはあっけなく裂ける。抹消されようが偽られようが戻らない時間は破り捨てて先に進むしかない。どうせ過去が見えた所で同じ地点には戻れないのだし。論じたって事実を布石として残しておけば迷っても同じ道を歩かずに済む。その人生観は語り口にも表れる。円を描きながら少しづつ外部に広がるような語り口。エゴヤン作品に特有の複数の直線エピソードを輪を描くようになぞってゆく構造。彼の作品の中では特に印象深いって訳じゃないが、代表作と呼べるだけ彼の魅力が分かり易く出てて力がある作品だとは思う。喪失感ややるせなさだけではない魅力。特に缶の中は未現像フィルムだと信じる青年と入管のおっさんの対峙には強く惹かれる。 -
おなじみ無駄なセックスシーン2008-11-20 by
まのはら
エゴヤンにかかせない無駄なセックスシーンを見た時点で辟易。「エキゾチカ」に魅せられて以来全作チェックしており本作も嫌いではないが、どの映画も腰振り系のセックスシーンを見るたびにその必然性を問いただしたくなる。
まの原淳之介 記 -
シャルル・アズナブール2006-08-12 by
るりしじみ
この映画に出演していたのですね
フランスのシャンソン歌手としての彼の印象のほうが強いです
「イザベル」とか昔、ラジオの深夜放送でよく聞いた気がします
20世紀初頭、アララト山の麓でおきたアルメニア人の虐殺事件
後の人々がその記憶をどのようにとらえてゆくかというテーマをいくつかのストーリーに分けて追ってゆきます
とても複雑に入り組んでしまいそうなストーリー展開、場面展開なのですが、見事に構成されていて驚きました。とても見ごたえがあります
このような事件があったことをこの映画で初めて知りました
そして、シャルル・アズナブールがアルメニア系の人だということも知りました -
未完の母の手(絵)が悲しいのです2005-02-07 by
bambino
トルコ兵によるアルメニア人虐殺事件(トルコ政府は否定)と、現代を生きるそれぞれの子孫が
その事件にどう向き合っているのかを描いたドラマ。
接点がなさそうなカナダ在住の子孫達が映画製作に関わることで集結し、自分なりの結論を導き出していく様子が丹念に描かれています。
民族VS政府というと話が大きくなるところを、
個人VS個人(母VS息子、トルコ人俳優VSアルメニア人助手など)
にブレイクダウンしたものを作品の素材にしているので、よその国の事件ではあるけれど、身近に感じられ解かり易かった。
日本にも色々問題はあるけれど、
自分で正しく事実を調べ、自分の出した結論を信じることも大事なことなのかな、と思いました。
ただ、一つだけの考えに固執するのは嫌いですが。。
この映画をみなければ私はこんな事件があったことを知らずにいただろうと思うので、みてよかったです。 -
意欲作だった2004-06-03 by
きゅん
同時に3つのストーリーを進行させるあたり。「めぐりあう時間たち」を思い出したりもしたが、それぞれのストーリーの多様性、複雑さ、重さがまるで違う。それだけに未消化な部分があるのはむりからぬことかもしれない。その上登場人物が、ぐるぐる関係あるように位置づけられていておもしろい。
まるで堅物で杓子定規な税関職員(好演)が青年に、矢継ぎ早にデリカシーのない、神経を逆なでする質問を浴びせながら、最後には理解し信じようとする場面が印象的だった。冒頭のザクロとの関連には気づかなかったであろうが。
カナダで生まれたトルコ人とアルメニア人は、知らなければトルコ人同士としてつきあっていけるのだろう。しかし一方は事実をなかったものとして、歴史をゆがめふたをしてしまう。時代を超えて残っているのは、アルメニア人に対する理由のない嫌悪感。
迫害での加害者と被害者。
いつの時代でもどこの国でも同じことが言えるだろう。一度は見ておくべき映画だと思う。
音楽も美しく印象的だった。 -
客観性と主観性2003-10-30 by
sui
タイトルはあまり適切ではないかも。
星3つと悩んで4つに。
色々と深く考えさせられる部分は多いし、その疑問には必ずしも明確な回答がなされていない。
それを否定するつもりはないけれど、その手法がこの映画を傑作にしているのか駄作にしているのかは、昨日見たばかりの私にはまだ分析できない。
いくつもの時代と、関係と、虚構とを同時並行に映し出す。
それは見る人間の同調を意図的に分断している、あるいは拒否しているような印象を受ける。
それでいて、家族、痛み、というテーマはほぼ普遍的に主観的なものだ。
この意味するところはなにか。
客観的にあることを強いながら、主観的に誘う。
おそらく、石榴だ。私たちがそれぞれの手に、石榴を持つことを監督は望んでいるのではないか。
同化を拒否されつつも、見るものの心はその主観的なテーマによって接近を図る。
しかし、最後に立ちはだかる壁。その壁を乗り越えるには、石榴の持つ想像力に頼るほかない。
記憶は朽ち。
存在は消え。
けれど歴史は繰り返す。
この映画を見ることによって、否応なしに私たちは失われた歴史の一部を確かに受け継ぐのだけれども、監督は想像力なしに受け継がれることを嫌ったのではないかと。
上手くいえないけど、そんな感じ。
多分、日本人が見るべき映画だと思う。 -
消された母の掌(たなごころ)2003-10-29 by
Mの隠し玉
第一次大戦中のトルコ兵によるアルメニア人の虐殺を題材にして、シャルル・アズナブール(お久しぶり!)演じる監督がカナダで撮る映画中映画と、その映画の主人公で虐殺の生き残りである実在の画家アーシル・ゴーキーが残した絵画作品”芸術家と母親”と、さらにその映画のスタッフとして加わる若者に母親と彼ら一家の過去、現在を語るエピソード、これを三つの核として今なおも当事者の一方であるトルコが否定している「歴史的事実」を重層的に探ろうとする作者アトム・エゴヤンの意欲が十分に感じられる野心作だ。
ポスターやらチラシやら、この作品のプロモーション・イメージが絵画”芸術家と母親”そのものだったので、これは過去の歴史を巡る(虐殺事件とその後に制作されたこの絵画のエピソ−ドに限られる)叙事詩的作品かと思いきや、エゴヤンの表現の守備範囲はさらに下って現代に生きる人々の意識にまで及ぶ。それは、いま、なぜ過去の”事件”を描くのか、いまその”事実”に人々はどのように関わるのか、に及ぶ真摯な問いかけともなるだろう。
その意味で云えば、空港の税関で大きなフィルム缶を間にはさんで、アルメニアから取材帰りの若者と税関検査官とが対立するシークエンスがこの作品のツボであるように思えた。そのフィルム缶に御法度の薬物が隠されている事を疑い今回の旅の目的を問う検査官に、若者はアルメニアでのビデオを見せながら映画制作をきっかけに如何に事件に興味を持ったか、かつてトルコ大使暗殺を企てた自分の父親の行動を如何に理解したかを語る。物事の真贋を見極めるプロたる検査官(クリストファー・プラマー好演!)はここに真実の重みを感じ取り若者の罪(過失)を不問にするのだ。未現像だと云うフィルムを保護するために部屋を暗くして手探りで缶の中身を確かめる場面に、奥ゆかしき?も妙に生々しい政治的サスペンスが浮かび上がる。
一方、肝心の虐殺事件そのものはアズナブールが監督する映画中映画の中でしか具体的に描かれない。しかも、その映画は本物の監督であるエゴヤンによって、コトある毎に虚構性が暴露され作為性が強調される。彼みずから「もはや古ぼけた叙事詩的作風で歴史の真実を語るコトの無意味さ」を語っているので、その意図する処は理解できるのだけど、この「歴史大作」には時々妙にその作者自身のマジに力がこもった「本気」を感じさせてしまう箇所もなくはない。おそらく作品全体のうち大部分の予算をかけ、多くのエネルギ−をも費やしたであろうこの映画中映画が、実は作者自ら否定する手法によりその表現としての無力さを実証するかの様に作られている処がこの映画のユニークな面白さであり、また反面この作者のかすかなる不誠実さ傲慢さを示しているようにも見えた。
前述の税関の場面とこの映画中映画とのおよそ異質な映画の表情を繋ぐものが、主人公の若者一家のエピソードになるはずだったのだが、既に他投稿でも指摘(註 のある通りこの部分の描き込みの足りなさがこの映画全体の印象を散漫にしている事は否めない。それは絵画”芸術家と母親”の未完成部分への言及にも影響するだろう。−息子の上着から千切れたボタンを繕う母の手をみつめる、まだ幼きアーシル・ゴーキーの視線−映画中映画の中でこそ描かれたであろうこんな「泣かせの点景」に弱い投稿者は、このシャルル・アズナブールの監督による時代に遅れた「歴史を告発する大作」もまた、最初からきちんと観てみたいと思ったりするのだ。
註)若者と義理の妹とが近親相姦的関係との解釈はいささか見当外れでは。この妹は母親の二番目の夫の連れ子であり、この若き二人におそらく血縁はないでしょう。アトム・エゴヤンは”ヒア・アンド・アフター”('97)でも父娘のそんな関係を描いていましたが、この作品に於いてはことさらに濃厚なフロイト的要素の突出は無用だと思うのですが。 -
映像のタッチは良かったのですが2003-10-08 by
KKK
静謐で詩的なタッチの映像が、モチーフとしているゴーキーの絵画とよくマッチしていて美しい。
1915年のアルメニア人大虐殺という歴史の闇(虐殺があったか、なかったか自体、未だに論議されている)にスポットを当てて、虐殺についての映画製作という現在形の視点で描き、歴史の当事者たちの子孫の若者達の視点を盛り込むというのも面白い。
ただ映画として面白かったかどうかはやはり別だと思うので、この点数。
背景となる1人1人の人物のドラマの描き方が中途半端なように思いました。特に若者たちの近親相姦的関係が、面白いシーンもあっただけに深めて描かれずに残念。
力作だとは思います。

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